プレカリアートユニオンブログ

労働組合プレカリアートユニオンのブログ。解決報告や案件の紹介など。

トラガールとして持ち上げ、労災に遭ったら使い捨ての川崎陸送を提訴!

ひどい!川崎陸送(株)(樋口恵一代表取締役
女性トラックドライバーをトラガールとして持ち上げ、労災(過重労働で右手握力が6キロに低下!)に遭ったら使い捨て!

元トラガールが損害賠償を請求し提訴

トラック運転手は、日々過酷な環境での労働を強いられ、人手不足が深刻化しています。そのなかで、女性のトラックドライバーを「トラガール」と読んで活用をすすめる動きが顕著になっています。コカコーラの配送などを行う運送会社の川崎陸送株式会社もその一つ。その川崎陸送で働いていた女性トラックトライバー(44歳)は、2009年(平成21年)にアイスクリームを運搬する作業に従事した後、頸椎椎間板ヘルニアを発症しました。同従業員は、配送で使用するベニヤ板を軽いものにするよう求めるなど、川崎陸送にたびたび業務の軽減を求めてきましたが、一度も改善されることはありませんでした。

同従業員は、2014年(平成26年)12月8日から同月13日にかけて、1枚約10キログラムのベニヤ板を14枚手作業でトラックに積み込む作業等に従事した後、肩から腕に強いしびれを覚えて起き上がることができない状況になり、1週間仕事を休みました。ところが、川崎陸送は、頸椎椎間板ヘルニアの症状が強く出ている同従業員に対し、負担の重いマーガリンの横持ち(工場から冷蔵庫までマーガリンを運搬する作業)の作業に従事するよう指示しました。同従業員は、1トンの重量のあるコンテナを、同月24日に10個、同月25日に12個運ぶ作業に従事し、右肩から右肩甲骨、右腕にかけての激痛を発症して勤務を続けることができなくなりました。このときの頸椎椎間板ヘルニアの発症については、労働災害に認定されました。

現在も、同従業員は、右手の握力が6kgまで低下し、日常生活にも支障が生じています。ところが、川崎陸送は、代理人弁護士を通じ、労働組合プレカリアートユニオンとの話し合いではなく、裁判によらなければ賠償に応じることはできないとしています。そのため、同従業員は、川崎陸送に対し、後遺症逸失利益等の損害2463万9474円の賠償を求めて、東京地方裁判所に訴訟提起するに至りました(代理人は旬報法律事務所梅田和尊弁護士、早田由布子弁護士)。

トラック輸送は日本の物流の根幹を支える大事な仕事です。その最前線で働くドライバーが安心して仕事ができなければ、道路上の安全を損なうことにもなります。都合のよいときはトラガールとして持ち上げておきながら、労働災害で就労困難な状況になると、責任をとらずに使い捨て、裁判をやれと開き直る川崎陸送株式会社(樋口恵一代表取締役)に、ペンを持つのも大変な状態になってしまった元従業員が、安心してリハビリに励めるよう、紛争を早期に解決するようご指導・ご協力くださるよう、どうかよろしくお願いいたします。

【ご意見は】
川崎陸送株式会社 樋口恵一社長
〒105−0004東京都港区新橋3−22−1
TEL03−3434−7211 FAX03−3434−7219

【問い合わせ・労働相談は】
プレカリアートユニオン
〒151−0053東京都渋谷区代々木4−29−4西新宿ミノシマビル2F
TEL03−6276−1024 FAX03−5371−5172
info@precariat-union.or.jp ※会社のPCからは相談メールを送らないでください
http://www.precariat-union.or.jp/ http://d.hatena.ne.jp/kumonoami/

【厚生労働記者クラブ会見予定】
日  時:2016年2月24日(水)15時30分
出席予定:原告本人、代理人弁護士2名、清水直子プレカリアートユニオン執行委員長)

川崎陸送で労災に遭った女性トラックドライバーの声

 私は、2001年1月21日川崎陸送株式会社清水営業所に契約社員として入社し、以降、10トントラックの冷凍車に乗務してきました。入った当時の主な取引先はJ−オイルミルズ(当時は日本リーバ)、明治製菓アステラス製薬(当時はフジサワ薬品)でした。J−オイルミルズのマーガリンでは、清水で積み関東、関西方面へほぼパレット輸送し、直送の場合はほぼ手積み手卸しで運んでいました。明治製菓では、静岡工場(藤枝市)で積み関東工場(埼玉県坂戸市)、関西工場(大阪府高槻市)、名古屋DC(愛知県小牧市)へほぼシートパレット(自分たちで持っているベニヤをひいてその上に製品をのせてもらう)で、たまに手積み手卸しで運んでいました。フジサワ薬品では、富士工場で積み古河工場(茨城県古河市)へシートパレットで運び、高岡工場(富山県高岡市)へ小さいドラムを手積み手卸しで運んでいました。フジサワ薬品からアステラス製薬に変わってからは、富士工場で積み埼玉県新座市の倉庫へシートパレットで運び、アストラゼネカの製品は米原滋賀県米原市)へ小さいドラムを手積み手卸しで運び 、大阪はシートパレットで運んでいました。

 当時、大阪に行った帰りはコカコーラを積み関東の工場などに持って行きました。コカコーラの仕事がなくなってからはモロゾフやグリコなど、ほぼ手積み手卸しの仕事で関東へ持って行きました。J−オイルミルズのマーガリンで九州にもたまに行くようになり、協力会社が見つからなかったり、マーガリンの不良品の引き取りがある時は自社便で行くようになりました。清水でマーガリンを手積みで積み福岡で手卸しで卸し、帰りはコカコーラをもらったり不良品を積んできたりしてました。

 桑原氏が所長の頃は、営業所が危ないからと九州行きが順番に行くようになり、その頃はコカコーラの仕事がもらえなくなっていたので、清水でマーガリンを手積みで積み福岡で手卸しで卸し帰りは熊本県阿蘇牛乳を手積みで1500ケース積み、名古屋で夜中に手卸しで卸しました。その後、帰りの荷物の牛乳がなくなってからは、ダノンヨーグルトの空パレットをもらうようになりました。空パレットの卸し先は群馬県館林市でした。普段は福岡で積み込みしたら翌々卸しでしたが、いつかのゴールデンウィークの時は館林の方で空パレットが足りないということで翌日卸しで行きました。福岡を午前中出て、途中休憩をとりながら行き、日が変わって暗いうちに着きました。この時は卸してからも眠くて、東北自動車道の羽生パーキングで仮眠を2時間程とり、首都高速道路東名高速道路も渋滞してて、やっとの思いで東名高速道路の中井パーキングに入りました。それまでも眠くて何度も事故を起こしそうになったのを今でも覚えています。

 このような長時間労働、手積み手卸し等が負担になり、2009年4月6日に首のヘルニアと診断されました。この一週間位前、埼玉県岩槻市の第一冷蔵でアイスクリームを16パレット入庫している際、胸に違和感を感じ業務終了後、自宅で横になったところ起き上がることができなくなりました。翌日も動くことができず会社を休み、翌々日に接骨院へ行き紹介状をもらって病院を受診しました。ヘルニア発症後は、1年に1〜2回起き上がることができなくなり会社を休みました。

 2011年12月に今まで乗っていたトラック(三菱ふそう)を名古屋営業所に持っていかれ、11月に退社した人が乗っていたトラック(日野自動車)に乗ることになりました。このトラック(日野自動車)は2009年頃、11月に退社した人と当時の配車係と二人で箱の中の作りを決めて作ったトラックで、冷凍専門のために作った今まで川崎陸送にはない特殊なトラックでした。

 他のトラックに比べ、箱の中は狭く箱の床も私が乗った当初は滑り止めも付いていなくて、とても作業がやりずらいトラックでした。私がこのトラックに乗ってから、滑り止めはせめて付けてもらわないと、主なマーガリンでさえも引っ張り出す事ができず、簡単な滑り止めテープを付けてもらいました。しかし、それも床の上にただ付けただけの物だったので、物によっては変に引っかかってしまい、とても仕事がやりずらかったです。そのテープも作業を重ねるうちに所々剥がれてしまい、製品を引っ張り出す時に何度も足が滑ってしまい、実際転んだことが何度もありました。何度かは配車係の人に運転手の控え室で転んだことも言ったのですが、すぐに何とかしようとはせず、やっと2014年になってから床を削ってテープを貼ってくれました。

 会社は、前に乗っていた男性が何も言わず仕事をしていたので、私が何か言っても女性だから力がないから滑ると思っていたと思います。その前任者が乗っていた時はほとんどマーガリンの仕事しかやっておらず、明治製菓やアステラス薬品の仕事は箱が狭いという理由で本人が断っていました。会社もそれで了承していました。しかし、私がそのトラックに乗ってからは今までの私の仕事と同様、何でも仕事がまわってきました。

 このことからわかるように、女性だからという配慮は一切ありませんでした。 2014年12月15日朝、また首が痛くて起き上がれなくなり1週間休みました。休んでいる間に、配車係の三宅さんから電話で「来週の横持ち、順番だから頼む。」と言われました。年末で忙しく、人もいないので横持ちの仕事をしていたところ、12月24日、1トンコンテナを運んだ際、右腕に激痛がはしりヘルニアで労働災害となりました。

 荷物の1トンコンテナは普段、一週間の横持ちの間で6基運ぶのですが、年末ということもあり、全部で22基運びました。その後は握力を測ったら右手は5キロになっていました。左手が25キロぐらいなので最低でも30〜35キロはあったと思います。

 私が休んでから2015年1月か2月に、三宅所長から電話があり「山梨総合運輸のトラックが壊れたから■■さんが乗ってたトラックを貸します。その代わりにウイング車を持ってくることになりました。」と言われその次の日あたりにトラックの荷物を片付けさせられました。ウイング車を最後にどういう理由であれ持ってくることができたのなら、最初に私がヘルニアを発症した後ウイング車を持ってきてくれればこのような身体にならなくてすんだと思います。

 もう一年が経ちますが、右手の握力も戻らず、未だに痺れと痛みが治りません。会社は、私が加入する労働組合プレカリアートユニオンとの話し合いでは問題を解決しようとせず、裁判をしろの一点張りです。私は、慣れた運転の仕事はもうできず、かといってペンを持つのも大変な状態で、事務職として働くのも困難です。これからどうやって生きていけばよいのか、先の見通しも立ちません。川崎陸送は、女性のトラックドライバーをトラガールと呼んで、活用を勧めていることを宣伝しています。しかし、女性が働くにあたって必要な配慮をしているでしょうか。これは、私1人の労働災害の問題ではありません。人手不足の運送会社でもっと活躍できるはずの女性が、安全に安心して働くことができるようにするため、一石を投じたいという思いで提訴しました。すでに労災として認定もされているのですから、川崎陸送が、早く問題を解決し、女性のトラックドライバーが真に安心して活躍できる会社になってくれるよう願っています。