プレカリアートユニオンブログ

労働組合プレカリアートユニオンのブログ。解決報告や案件の紹介など。

職場の困難を解決していくことで社会を変えるのが労働組合。『若者は社会を変えられるか?』(中西新太郎著・かもがわ出版)ブックレビュー

『若者は社会を変えられるか?』(中西新太郎著・かもがわ出版

 

www.kamogawa.co.jp

 先の参議院選挙では記録的な投票率の低さが話題となりました。中でも、とりわけ19歳の投票率はおよそ18%と極めて低いものでした。若者の政治への無関心は今や大きな社会問題のひとつとして認識されています。今回は現代の若者たちを取り巻く環境や問題、彼らに何が起こっているのかといったことを記した「若者は社会を変えられるか?」をレビューしていきたいと思います。

 

エキタス、SEALDs、声を上げる若者

  「若者は政治に無関心」そう思っていた社会にとってSEALsの台頭は青天の霹靂だったと言えます。エキタスもまた、社会に対し怒りの声を顕にしています。彼らの行ったことはまさしく政治的態度の表明にほかならず、メディアは突然変異的に政治に関心を持つ若者たちがどこからか出てきたように報じました。彼らは、本当に「突然」現れたのでしょうか。政治に無関心な若者たちから出た「突然変異」的なものなのでしょうか。

 

政治に対する無関心を強いる社会

 著者は、現代の社会には若者を政治に近づかせないしくみがあるのだと主張します。学校教育にはじまり、若者たちは大人よりもずっと「ものがいいにくい」状況に置かれているといいます。学校で、「ルールを守れ」と「権力者が作り出す秩序に従って考え行動すること」を子どもたちは強要されます。これにより政治的主体となる陶冶をいちいち否定されていくことになるのです。自分勝手な言い訳をせず秩序に従えという圧力が「自分はそうは考えない、自分はこう思う」といった政治的主体としての当事者感覚を抑え込みます。権力者の決めたルールと異なる考え方をするものを「自分たちの秩序を乱す勝手なヤツ」として排除する考え方は、ブラック企業で正当な権利の主張をした労働者に対する理不尽な風当たりの強さにも表れていますね。これは日本社会最大の病理のひとつなのではないでしょうか。

 

政治的アクションは「自分はこう思う」から始まる

 「自分はこう思う」と主張することが政治への参画の第一歩です。故に、誰もが「自分はこう思う」と言える社会の実現というのは極めてラディカルな要求といえます。「まだ未熟だ」「ろくに知識もないくせに」と行った言葉でこの「誰」に条件をつけ、制限をかけ、普通に生きる人々から政治を奪いもの言えぬ存在に押し込んでいるのが現代社会です。誰もが自分の意見を臆することなく表明できる社会というのは、言い換えれば誰もが人間としての尊厳を認められる社会ということなのです。労働問題や貧困によって尊厳を奪われた若者が「わたしはこう思う」と声を上げたのがSEALDsやエキタスの若者、そして、非正規層や若者を中心とした労働組合なのだと著者は分析しています。急に政治に興味を持つ若者が発生したのではなく、社会に押し込められていた彼らの主張が、とうとう堰を切って世の中に出てきたということなのではないでしょうか。

 

少しずつ着実に社会を動かしていきたい

 社会を変えることができるのは権力だけではないと著者は繰り返し主張しています。私たちが日常的に「困った」という問題を解決していくその積み重ねにおいて、少しづつ緩やかに社会は動いていくのです。そういった意味では、まさに私たち労働組合の運動は「社会を変える」運動だといえます。若年層のみならず、様々な「弱者」の声を拾い上げ、少しずつでも社会を着実に動かしていく。私たちの果たすべき役割と、大きな可能性を感じることができた一冊でした。

稲葉一良(書記次長)