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家庭をも蝕む非雇用の労働問題。労働組合としてどう闘うか。映画『家族を想うとき』(ケン・ローチ監督)レビュー

家庭をも蝕む非雇用の労働問題。労働組合としてどう闘うか。映画『家族を想うとき』(ケン・ローチ監督)レビュー
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 2016年「わたしは、ダニエル・ブレイク」でカンヌ国際映画祭パルムドール(カンヌの最高賞)を受賞し引退を表明した名匠ケン・ローチ監督。そんな彼が、一旦表明した引退を取り消してまで描き出そうとしたのは「軽貨急配」の労働問題です。映画「家族を想うとき」の舞台はイギリスのニューカッスルですが、同様の問題が日本でも起こっており、社会問題になっています。今回は映画のレビューに併せて非雇用化や長時間労働の弊害についても触れていきたいと思います。

非雇用による企業のリスク回避
 会社は、「人を雇う」ということに対して、非常に大きな責任を負わなければなりません。労働法では、最低賃金や労働時間の上限、残業代の支払い義務に安全配慮義務など様々な規定があり、社会保険料などの負担も発生します。ほとんどの会社は、人件費に最も多くのお金を使い営業しています。この人件費を少しでも抑えることができたらという思惑で「発明」されたのが「非雇用化」です。雇用の責任を逃れるために、「外部」の「個人事業主」に「業務委託」するという形を取るわけです。これにより、会社は委託料のみを支払えば良いこととなりリスクを低減させることができるわけです。

労働者への大きな「しわ寄せ」
 では、会社が放棄したリスクは誰が負うのでしょうか。それは、実際に「個人事業主」として働いている労働者ということになります。作中では、主人公には様々な物品に係る弁償・弁済義務や欠便に対する高額なペナルティなどが課せられます。さらには労災なども使うことができません。怪我をしても、体調を崩しても、予期せぬトラブルに見舞われても……全て「自己責任」となってしまうのです。責任だけ押し付けられ、実態は事業主とはとても呼べない、出退勤の自由すらままならない無権利状況で働かされる状況は、「奴隷」のようにさえ見えます。安全配慮義務のない業務委託関係において、労働者の安全などは「関係ないこと」とされてしまいます。

「長時間」「低賃金」労働
 また、労働法の保護を受けることができない環境下では、極めて長時間の労働を強いられてしまうおそれがあります。契約ノルマを達成するまでは、どんなに時間がかかっても家に帰れないのです。当然、労働時間が伸びても報酬は変わらないわけですから、1時間あたりの単価も働けば働くほど低くなってしまいます。日本でも最低賃金を遥かに下回る条件下での労働が頻発しています。賃金単価が低いので、生活のために仕事を増やすことになると、労働者の時間はどんどん奪われていってしまいます。

家族のひとりひとりにまで及ぶ深刻な影響
 長時間労働の結果、健康被害や睡眠不足による事故のリスクだけでなく、家庭にも深刻な影響を及ぼすことになります。映画の主人公リッキーは、長時間労働のため家に居る時間もほとんどありません。妻のアビーもまた、介護福祉士として働いていて、自宅にいられるのはごく限られた時間のみでした。長時間に及ぶ過酷な業務のストレスから、リッキーは短気を起こしがちで、度々アビーに辛く当たってしまいます。顔を合わせる時間も少ない中での喧嘩は、互いの間に生じた溝をどんどん深くしていきます。そんな中、優等生だった息子のセブは非行に走り、様々な問題を引き起こしてしまいます。子どもたちも両親が仕事に時間を奪われたことで、十分な愛情を受けられなくなってしまっていたのです。このように、長時間労働の弊害は、労働者だけでなくその家族ひとりひとりにまで及ぶのです。

雇用の責任逃れを許さない!
 このような軽貨急配での「個人事業主」としての働かせ方は、法的に違法とは言い切れない面があります。しかし、企業がその雇用の責任を免れようと労働者に多大なしわ寄せをしようとしていることが明白なケースは後を絶ちません。この映画を見ながら、「日本で労働組合を通してこの問題と向き合った時、何ができるか、どう闘えるか」を真剣に考えさせられました。雇用の責任逃れは絶対に許せません。人を使うからには相応の責任を追うべきです。そのことを訴えていくことができるのは、私たち労働組合なのだと考えています。
 稲葉一良(書記次長)