プレカリアートユニオンブログ

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300本以上の映画を撮った女性監督による、映画監督が「女になれない仕事」だった時代へのレクイエムと次世代への架け橋。『女になれない職業 いかにして300本超の映画を監督・制作したか。』(浜野佐知著/ころから)

300本以上の映画を撮った女性監督による、映画監督が「女になれない仕事」だった時代へのレクイエムと次世代への架け橋


『女になれない職業 いかにして300本超の映画を監督・制作したか。』(浜野佐知著/ころから)


 本書の著者である浜野佐知氏は、1971年に監督デビューをしてから今日に至るまで実に300本以上の作品を発表しています。『女になれない職業』には、そんな著者が、どのようにして映画監督を志すに至り、制作陣のトップであり、当時男性にしかなることが許されなかった映画監督にどのような壁を乗り越えなっていったのか、そして、どのように生き残り作品を発表し続けてきたのかについてが記されています。
 また、この1冊は著者の半生と日本の映画業界における女性監督の活躍の歴史を語った1冊ともいえます。
■差別やハラスメント過酷なピンク映画の現場で闘い抜く
 著者が監督した作品のほとんどは「ピンク映画」といわれるジャンルに分類することができます。ピンク映画とは日本のポルノ映画の中で大手以外が作ったものを指します。
 制作費は安く製作期間も信じられない程短い、そんな戦場のような現場で激しいパワハラ・セクハラ、性別役割分担に基づく差別をはね除けながら、男性からみた都合のいい女性、男性の妄想の中だけにいる女性ではなく、真に迫る「女性の性」を描写することにこだわり制作を続け1985年には自身が代表を務める制作プロダクション坦々舎を設立します。
■ピンク映画から一般映画に転進した監督の多くは二度とピンク映画に戻ってこない
 実は、現代の日本映画の巨匠と言われる監督の中にもピンク映画出身の監督は決して珍しくありません。しかし、ピンク映画の監督出会った事実は隠され、監督した作品も実績としてなかったことにされてしまいます。本書でも「ピンク映画から一般映画に転進した監督の多くは二度とピンク映画に戻ってこない」と述べられている通りで、業界でも監督の地位は決して高くなく軽んじられがちであることが伺えます。
 筆者の闘いは、「ピンク映画の」監督、「女性の」監督という二重の差別との闘いでもあったのです。そんななか、日本映画監督協会に入会し、招かれた国際映画祭の記者会見で、国内外のプレスに向かって劇映画を最も多く録ったのが田中絹代監督の6本である旨の発言があり、著者は驚愕します。本数を誇る訳ではないが、最多本数を撮ったのは、撮り続けているのは自分であるという思いから一般映画の製作に乗り出すことになります。
 その後、一般映画の監督作品でも高齢女性の生を描きタブーに挑戦した「百合祭」、幻の作家と言われた尾崎翠の作品やその生き方に迫る作品を製作し高い評価を得る一方、ピンク映画の製作も行う浜野氏。
 終章の出だしはもう映画監督が「女になれない仕事」ではなくなってきた世の中について語り、本書をそんな時代へのレクイエムと位置づけます。しかし、未だ芸術表現の分野における伝統的家父長制に基づく女性差別は深刻です。本書は闘いの記録であると同時にこれからの世代に向け先達がどのように闘って時代を切り開いたのかを示す貴重な1冊として捉えることができるのではないでしょうか。
 稲葉一良(書記長)

 

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