プレカリアートユニオンブログ

労働組合プレカリアートユニオンのブログ。解決報告や案件の紹介など。

弱者の痛みを強烈に描いた喜劇作品。『レイニング・ストーンズ』(ケン・ローチ監督/1993年・イギリス)

弱者の痛みを強烈に描いた喜劇作品

『レイニング・ストーンズ』(ケン・ローチ監督/1993年・イギリス)

 『レイニング・ストーンズ』は1991年にイギリスで製作された映画です。監督はケン・ローチ。失業者の生活の苦悩を描いた社会派の喜劇です。これまで、ケン・ローチ監督の作品のなかでも特にリアリティを重視したシリアスな作品ばかりレビューしてきましたが、この作品も喜劇作品でありながら、シーンによっては見ているのが辛くなってしまうほど、弱者の痛みを強烈に描写しています。

■失業中で何をやっても上手くいかない主人公ジム 主人公のジムは失業しています。映画は、彼が同じく失業中の仲間であるトミーと一緒にヤギを盗みに入るも、食肉処理するのが怖く尻込みする場面から始まります。ジムとトミーは生きたままヤギを肉屋に持ち込みますが、思ったような値段がつきません。ならばと、肉をさばいてもらい自分たちでバーの客に売って儲けようと思うも、これまた上手くいきません。それどころか、バーの前に停めておいた唯一の財産ともいえるバンを盗まれてしまう有様です。職を失い、何をやっても上手くいかないジムの苦悩が、序盤からコミカルに描かれています。

■見栄を張って高利貸しに借金
 ジムには家族がいます。妻のアンと、もうすぐ7歳を迎える1人娘のコリーンです。失業中のジムですが、コリーンに聖餐式の時に着るための高価なドレスを買ってあげたいと強く願っています。アンの父親から考え直すように言われ、神父からも無料で貸し出せるドレスがあると説得されてもジムの考えは変わりません。娘に対する強い愛情とともに、ジムの見栄っ張りな一面が垣間見えるシーンです。
 何とかお金を作り出そうとしてもなかなか上手くいかないジムは、周囲に黙ってとうとう高利貸しにお金を借りてしまいます。初めのうちは何とか返済できていたものの、やがて不渡りを出してしまいます。聖餐式の前日、アンとコリーンしかいない自宅に、高利貸しは突如としてやってきて家中を引っ掻き回し、金目のものを奪った挙げ句に、すぐに借金を返せと脅かします。この時点でジムの借金は借入時の倍以上に膨れ上がっていました。聖餐式への希望は一転して絶望へと変わってしまいました。
聖餐式とパトカー、ハラハラするハッピーエンド
 その晩、ジムは高利貸しの後を尾行し、彼が酔っ払っている隙をついて借用書を取り返そうと試みます。揉み合いになるも、借用書を奪うことはできず、高利貸しは復讐を宣言し車に乗り込みます。逃がすまいと、ジムはバールで車のフロントガラスをたたき割り、進路を阻みましたが、このことが原因で高利貸しはハンドル操作を誤り死んでしまいます。すぐに神父の元へ行き懺悔をし、自首することを告げますが、神父はその必要はないと貧しい多くの市民が高利貸しに苦しめられていたことを説き、借用書を燃やしはじめます。
 物語のラストシーンはコリーンの聖餐式です。聖餐式の最中、パトカーのサイレンが響きます。ジムは恐怖に青ざめた表情を浮かべますが、そんなジムの恐怖を裏切るかのように警察は盗まれた車が見つかったことを告げ映画は閉幕します。

■ありえない物語だからこそのリアリティ
 主人公のジムは架空の人物です。行動も突飛で、映画で起こる出来事もいかにも大げさに思えます。しかし、みなさんの知り合いや友人のなかにジムの特徴を持った人物、同じ苦しみをもった人物を思い浮かべることができるのではないでしょうか(あるいはそれはみなさん自身かもしれません)。社会問題や人物像をデフォルメし、フィクションとして描く手法を用いた本作からは、リアルを追求して描いた作品よりも強烈な「リアリティ」が伝わってきます。この映画が90年代初めの作品でありながら、今なお色あせることなく強く心に訴えかける作品なのは、作中で描かれた労働と貧困をはじめとする社会問題がいまだに解決していないこと、そして、他の誰かの話ではなく、自分自身の身に起こるかも知れない話として私たちに迫ってくる物語だからではないでしょうか。
稲葉一良(書記長)

『レイニング・ストーンズ』(ケン・ローチ監督/
1993年・イギリス)

 『レイニング・ストーンズ』は1991年にイギリスで製作された映画です。監督はケン・ローチ。失業者の生活の苦悩を描いた社会派の喜劇です。これまで、ケン・ローチ監督の作品のなかでも特にリアリティを重視したシリアスな作品ばかりレビューしてきましたが、この作品も喜劇作品でありながら、シーンによっては見ているのが辛くなってしまうほど、弱者の痛みを強烈に描写しています。

■失業中で何をやっても上手くいかない主人公ジム 主人公のジムは失業しています。映画は、彼が同じく失業中の仲間であるトミーと一緒にヤギを盗みに入るも、食肉処理するのが怖く尻込みする場面から始まります。ジムとトミーは生きたままヤギを肉屋に持ち込みますが、思ったような値段がつきません。ならばと、肉をさばいてもらい自分たちでバーの客に売って儲けようと思うも、これまた上手くいきません。それどころか、バーの前に停めておいた唯一の財産ともいえるバンを盗まれてしまう有様です。職を失い、何をやっても上手くいかないジムの苦悩が、序盤からコミカルに描かれています。

■見栄を張って高利貸しに借金
 ジムには家族がいます。妻のアンと、もうすぐ7歳を迎える1人娘のコリーンです。失業中のジムですが、コリーンに聖餐式の時に着るための高価なドレスを買ってあげたいと強く願っています。アンの父親から考え直すように言われ、神父からも無料で貸し出せるドレスがあると説得されてもジムの考えは変わりません。娘に対する強い愛情とともに、ジムの見栄っ張りな一面が垣間見えるシーンです。
 何とかお金を作り出そうとしてもなかなか上手くいかないジムは、周囲に黙ってとうとう高利貸しにお金を借りてしまいます。初めのうちは何とか返済できていたものの、やがて不渡りを出してしまいます。聖餐式の前日、アンとコリーンしかいない自宅に、高利貸しは突如としてやってきて家中を引っ掻き回し、金目のものを奪った挙げ句に、すぐに借金を返せと脅かします。この時点でジムの借金は借入時の倍以上に膨れ上がっていました。聖餐式への希望は一転して絶望へと変わってしまいました。
聖餐式とパトカー、ハラハラするハッピーエンド
 その晩、ジムは高利貸しの後を尾行し、彼が酔っ払っている隙をついて借用書を取り返そうと試みます。揉み合いになるも、借用書を奪うことはできず、高利貸しは復讐を宣言し車に乗り込みます。逃がすまいと、ジムはバールで車のフロントガラスをたたき割り、進路を阻みましたが、このことが原因で高利貸しはハンドル操作を誤り死んでしまいます。すぐに神父の元へ行き懺悔をし、自首することを告げますが、神父はその必要はないと貧しい多くの市民が高利貸しに苦しめられていたことを説き、借用書を燃やしはじめます。
 物語のラストシーンはコリーンの聖餐式です。聖餐式の最中、パトカーのサイレンが響きます。ジムは恐怖に青ざめた表情を浮かべますが、そんなジムの恐怖を裏切るかのように警察は盗まれた車が見つかったことを告げ映画は閉幕します。

■ありえない物語だからこそのリアリティ
 主人公のジムは架空の人物です。行動も突飛で、映画で起こる出来事もいかにも大げさに思えます。しかし、みなさんの知り合いや友人のなかにジムの特徴を持った人物、同じ苦しみをもった人物を思い浮かべることができるのではないでしょうか(あるいはそれはみなさん自身かもしれません)。社会問題や人物像をデフォルメし、フィクションとして描く手法を用いた本作からは、リアルを追求して描いた作品よりも強烈な「リアリティ」が伝わってきます。この映画が90年代初めの作品でありながら、今なお色あせることなく強く心に訴えかける作品なのは、作中で描かれた労働と貧困をはじめとする社会問題がいまだに解決していないこと、そして、他の誰かの話ではなく、自分自身の身に起こるかも知れない話として私たちに迫ってくる物語だからではないでしょうか。
稲葉一良(書記長)

movies.yahoo.co.jp

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30年変わらない「企業中心」社会への問題提起。『企業中心社会を超えて‐現代日本を〈ジェンダー〉で読む』(大沢真理著/岩波現代文庫)

30年変わらない「企業中心」社会への問題提起
『企業中心社会を超えて‐現代日本を〈ジェンダー〉で読む』(大沢真理著/岩波現代文庫

 私たちの暮らす世の中が、企業を中心に構成されていると聞いても、多くの方は何の疑問も抱かないでしょう。大沢真理著『企業中心社会を超えて』は1993年に時事通信社から刊行された「企業中心」社会の歪みをジェンダーの視点から捉えた1冊です。

■企業中心社会は男性中心社会
 日本社会は、男性が働き女性は家で家事をすることを前提に成り立っていました。この男性の労働が、戦後の復興、オイルショックなどを経て、大企業中心のものになっていきます。この企業中心社会による構造的な差別により、多くの女性が、不当に将来の可能性を狭められ、賃金・キャリアにおける差別を受け続けています。企業中心社会とは男性中心社会のことなのです。当時の統計では、男性と女性の賃金格差は世界でも極めて深刻化しており、女性が就ける職業職種も極めて限定的なものでした。本書では、パートが身分であるということをいち早く主張しています。

社会保障にも生じる格差
 また、年金制度などの社会保障も大企業に勤める人々を特に手厚く優遇したものになっています。福祉政策を見ても、家父長的ジェンダーに依拠したものが多く、家庭の経済基盤を男性が支えることが大前提になっています。そんな社会のなかで、社会保障の網の目からこぼれ落ちてしまう女性たちがいることを本書は指摘します。

■問題は今も変わらず
 およそ30年前に執筆されたこの本が提起した企業中心社会の問題は、はたして過去のものでしょうか。現在でもまったく根本的な問題は解決に至っていないということを、著者は巻末に付記しています。本書を読むことで、非正規差別にシングルマザーの貧困、私たちが今現在解消していかなければならない問題の源流に触れることができます。

※本レビューは、2020年に岩波現代文庫からあらためて出版された同書を読み執筆
稲葉一良(書記長)

www.iwanami.co.jp

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日本の労働組合の将来あるべき姿とは。『労働組合とは何か』(木下武男著/岩波新書)

日本の労働組合の将来あるべき姿とは
労働組合とは何か』
(木下武男著/岩波新書)

 私たち労働組合は、日々さまざまな職場の労働条件を維持向上するために活動をしています。木下武男著『労働組合とは何か』は、そんな労働組合の生まれる前の原風景、黎明期からどのように発展、もしくは衰退し、今日の姿に至るかの歴史を解説し、現在、日本の労働運動が抱えている課題と可能性について論じた1冊です。

■労働運動の歩み
 労働組合の遠祖としてギルドが挙げられます。ギルドとは中世ヨーロッパの職人などで組織された職業別組合で、排他的・特権的な性質を持っていました。そのギルドが時代とともに変容し、初期の労働組合となります。初期の労働組合は非合法の秘密結社でしたが、世界中で労働組合を求める運動が起こり、それが時には暴動にもなり多くの血を流しながら人々の権利として合法の労働組合が誕生します。
 日本でも、戦後に権利として労働組合の設立が認められ、独自の発展を遂げてきました。現在、日本の労働組合の大多数は大企業の企業別組合であり、行き過ぎた労使協調により、そのほとんどが正しく機能していません。

■ゼネラルユニオンは日本の労働組合の新生への巨歩
 企業別に存在する組合では、資本主義社会における企業間の競争の影響を受け、十分な労働運動を展開できません。諸外国を見ると、産別の労働運動が力を発揮しています。日本ではこの産別運動が根付きませんでした。例外的に、関西生コン支部が強く闘い、労働者の権利の獲得を実現していますが、不当逮捕など権力から強烈な弾圧を受けています。
 本書で日本の労働運動の希望としてあげられているのは、ゼネラルユニオンです。ただのユニオンではなく、業種別の部会が横並びしながら1つに結びついている結合体で、私たち誰でもひとりでも入れる労働組合の将来あるべき姿のひとつともいえます。
 本書を読み、私たちも支部の繋がりをさらに強め「産業のあり方を問う」労働運動をより活発に展開していきたいと切に思いました。

 稲葉一良(書記長)

www.iwanami.co.jp

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海を受け取る私たちへのメッセージ。『海をあげる』(上間陽子著/筑摩書房)

海を受け取る私たちへのメッセージ
『海をあげる』(上間陽子著/筑摩書房

 2020年11月半ばの土曜日に「今日はゆっくり本が読めるな」と、少し前に上間陽子さんが書かれたノンフィクション『裸足で逃げる沖縄の夜の街の少女たち』を読んでいたけれど、それとは違うホッとするような安らげる本、くらいの気持ちでエッセイ集『海をあげる』を読み始めた。しかしすぐに「これは凪ないだ海の話じゃないんだ」と気づいた。読むのにこんなにエネルギーを必要とする本だったとは。せめてもの救いは自宅で読み始めたこと。私は最初から最後まで号泣し、読み終わったときにはへとへとだった。へとへとな自分に「この海をひとりで抱えることはもうできない。だからあなたに海をあげる」と真っ暗な海の中でまっすぐに視線を合わせて言われたように感じた。

■凪いだ海ではなく、荒波だった
 この本には、タイトル『海をあげる』を含む12のエッセイが収録されている。最初の『美味しいごはん』は、上間さんご自身の経験が書かれているのだが、読んでいると私自身の経験が思い出され、「毎日ご飯を食べると約束しなさい」と電話で言ってくれた父の声や、お昼や夜にご飯を食べに誘ってくれた同僚たちの顔が次々に浮かび、その時の感情がよみがえり、涙が止まらなくなった。まるで、凪いだ海にボートを漕ぎだしたと思ったのに、荒波でボートは激しく揺れ始めたように感じた。
 『美味しいごはん』は、上間さんがどういう人たちを大事に思い、どういうつながりを大事にしているか、その基には語られた経験があり、今のお仕事や力を入れていることにつながっていることがとてもよくわかった。

■沖縄の深い海
 他のエッセイでは、沖縄で暮らす中で、生きていくということは、何を大事にして、大事に思うからこそ何に苦しむのかを、生々しく、飾ることなく綴られている。その中に、「日本という国と沖縄県」の関係の比喩かな?と感じる文章や、本来沖縄の人同士がいがみ合ったり傷付け合ったりする必要はまったくないのに、外から持ち込まれた分断があちこちに見られる状況を教えてくれる描写がある。
 『何も響かない』は、読んでいると深い海の中にいるような感覚になる。上間さんが聞き取り調査をして、寄り添いをしている女性たちの一人である七海さんが「期待して裏切られて傷ついて、周りに不信感を抱き深く沈む」様子は、何度も米軍基地はいらない、減らして、新しい基地は作らないでと民主主義のルールに則って声をあげている沖縄と重なる。
 『アリエルの王国』には、2018年2月24日の辺野古新基地建設の是非を問う県民投票で、反対の民意が示されたにも関わらず、土砂が投入された日のことが綴られている。上間さんの娘、風花さんが「ケーサツは怖かった?」と上間さんに聞く。「今日はみんな優しかったよ。ケーサツのひとも、今日は静かだったよ」と報告する。この描写はまるで警察官である沖縄県民は、好き好んで基地建設に反対の声をあげる沖縄県民を日々排除しているわけではないことを教えてくれているようだった。
 『海をあげる』には、「沖縄で基地と暮らすひとびとの語らなさの方が目についた」とある。2016年に20歳の女性がウォーキング中、米軍の元兵士に殺される事件があったが、その同じコースを自分も歩いていたという女性は、「事件を怖いと思ったこと、だから自分で自衛したい」としか語らなかったという。沖縄の人たちを黙らせているのは誰なのか、読み手である私たちに問いかけていると感じた。

■沖縄の暮らしとともにあるもの
 あとがきの後ろに、上間さんがこの本を書くことと関連した聞き取り調査の日付が掲載されている。これだけの回数の調査をして、聞き取りをした相手に、助けが必要であれば病院に付き添い、家に行って関係する人と話すこともされている。上間さんの本業である大学の仕事もしつつ、主に若くして妊娠、出産をした女性たちに聞き取りの調査をしている。娘・風花さんにとっての困難は、立ち向かっていけるくらいになってからきますようにという願いも綴られているが、沖縄で暮らす人たちにとって“米軍基地問題”は新聞やネットで議論されるだけで自分の生活と離れたものではなく、常にそこにあるものでだからこそ向き合わざるを得ないものだとわかる。自分が大切に思う人がいるからこそ、この世の中が望む状態であったらいいと人は思う。あきらめたくないと思える。

レビューアー:安谷屋貴子(あだにや・たかこ)
NPO法人コミュニティ・オーガナイジング・ジャパン(COJ)代表理事。父親の出身地である沖縄で学生時代を過ごし、自らのルーツ探しと沖縄における米軍基地問題を学ぶ。2013年から福島県で復興支援員を務め、2017年からCOJ職員。

www.chikumashobo.co.jp

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「一番低い場所」から社会を問う-地べたのポリティクス。『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(ブレイディみかこ著/みすず書房)

「一番低い場所」から社会を問う-地べたのポリティクス
『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』
ブレイディみかこ著/みすず書房

 イギリス南部・ブライトンを舞台にした、ノンフィクション『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、多様な人種や貧富の格差に直面する、著者ブレイディみかこさんの息子の日常生活を母親目線で書いた作品だ。本屋大賞も受賞し、ベストセラーになった。私もその本で著者の文章に心をつかまれた読者の一人だ。
 『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』はそれより2年ほど前に出版された本で、同じブライトンで保育士として働く著者が、社会と政治をつなぐ託児所で巻き起こるできごとから、イギリス社会の「底辺」の人々が直面する現実を描く。読み始めると最後まで止まらなかったが、貧困、格差 分断、暴力が日常にある人々の暮らしは、心安らかに読めるような場面ばかりではなかった。

■「底辺託児所」から「緊縮託児所」へ
 この著者の本業は保育士で、2008年から2016年まで働いた託児所と保育園でのことが書かれる。最初の二年半はボランティアとして託児所で働き、そこが平均収入・失業率が全国最悪水準の地区にあって、主に失業者などの低所得者の子どもを無料であずかっていたため「底辺託児所」と名付けている。
 ボランティアの後は数年間、民間の保育園に就職する。「インスタントコーヒーを水筒に入れて持ち歩いていた人間が、スタバに入ってコーヒーが飲めるようになった程度の出世でもあった」と、ここでは有給で働けるようになった暮らしの変化も書かれる。
 数年後、保育園閉鎖を理由に再び「底辺託児所」に戻ることになるのだが、その頃イギリスは大きな変化をむかえていた。2010年に政権を握った保守党が緊縮財政政策に舵を切り、庶民の生活へ大きく影響していく。2015年に再び着任した「底辺託児所」も例外ではない。公的援助が断たれたことで、提供されるランチが週の半分に減らされ、本や玩具も購入できない状況になっていたなど、久しぶりに戻った託児所の変容ぶりに怒りさえ覚えたという。その時点から著者は「底辺託児所」を改め、「緊縮託児所」と呼んでいる。
 託児所を利用する家族にも緊縮政策のしわ寄せがきていた。生活保護が打ち切られ、フルタイムの働き口を探さざるを得ず、保育時間が短い底辺託児所から姿を消してしまったり、ソーシャルワーカーから育児ができないシングルマザーと判定され、子どもを里親に出されたケースなど、経済第一主義の政策は、弱い立場の人をより一層困窮させ、暮らしのそのものを蝕んでいくのだと感じた。

■最も低い場所から
 2015年の「緊縮託児所」の子どもたちの多くが外国人だという。それは、本部にある移民に開かれた英語教室に通う母親とその子どもが託児所を利用するようになったからだ。著者が見た生活保護を受給するシングルマザーや、ドラッグ依存から回復中のイギリス人の母親を持つ子どもが多かった「底辺託児所」の時代とは変わり、2015年には、託児所にいる移民がマジョリティで、貧困層のイギリス人がマイノリティの構図になった。そして、「緊縮託児所」に通う上昇志向の強い移民の母親が、貧困層のイギリス人の子どもと同じ託児所に通わせたくないと、移民からの差別も起きている。
 移民問題EU圏との重層的な課題をかかえるイギリスの階級社会のなかで、底辺から抜け出せずに、日常を生きる子どもとその家族の姿がこの本にはリアルに書かれる。「わたしの政治への関心は、ぜんぶ託児所からはじまった」「政治が変わると社会がどう変わるかは、最も低い場所を見るとよくわかる」イギリスの地べたを見てきた著者の言葉は、子どもの貧困やコロナ禍で格差や分断が進む日本社会へのメッセージではと思う。今こそ読みたい(再読したい)本だ。
N(組合員)

www.msz.co.jp

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COJ(コミュニティ・オーガナイジング・ジャパン)ワークショップ開催

COJワークショップ開催
 2021年4月17日、ユニオン運動センターの会議室で、コミュニティオーガナイズについてのワークショップを行いました。コミュニティ・オーガナイジング・ジャパン(以下COJ)から2名の講師を招いて行われたワークショップは、COJのテキストを使いながら、プレカリアートユニオンのためにコーディネートされた実践的な内容で行われました。
 コミュニティオーガナイズは日本語で住民組織化と訳されることもある、みんなの力で社会問題などのさまざまな問題を解決していくための手法です。大衆を共感させるためのスピーチの仕方や、関係性を構築するためのテクニック、目標を実際に達成していくための戦略の立て方など、そのノウハウ・テクニックは実に具体的で、すぐにでも実行に移せるものばかりです。
 当日は9名の組合員が参加し、全体での講義と、新宿二丁目・三丁目のLGBTコミュニティと労働運動をつなげるためのプロジェクト、ある企業での組合の組織化を目指すプロジェクトの2つに分かれたプロジェクトでの演習を行き来する形で行われました。本来なら2日かけて行うCOJのプログラムを1日に凝縮した、濃厚なワークショップを振り返ります。

LGBTコミュニティと労働運動がつながるプロジェクト
 LGBTコミュニティと労働運動をつなげるプロジェクトは、すでに組合内で動き始めているプロジェクトで、私も参加メンバーの1人です。研修にはプロジェクトの実際のコアメンバーが参加し、自分たちがこれまで組立ててきた戦略をCOJの考え方に落とし込んでいきました。互いに問題を自分ごととして語り、みんなの問題として訴え、今行動を起こすように呼びかけるスピーチを発表し合いました。ワークショップを通じて、より自分たちの行動の意義やこれから具体的に何のためにどのような行動をしていく必要があるかが鮮明になりました。また、メンバー自身がお互いの価値観を共有することで、メンバー同士の相互理解と絆が深まったのを感じました。

■「○○株式会社の組織化」プロジェクト
 もう1つのプロジェクトは、実際にプレカリアートユニオンの組合員が複数いる企業を対象にした組織化に向けての戦略を考えるものでした。参加したメンバーからは、「今まで人前で話すことは苦手だった。そういうことは元々話すのが得意な人にしかできないと思っていたけれど、ワークショップを通じて自分で思った以上に話すことができている自分自身に驚いたし、自信に繋がった。組織化の問題も、初めはものすごく困難に感じられ、どうやったらいいのか途方に暮れてしまったが、具体的に戦略チャートに反映させていくことで視界が少しずつ開けてくるのを感じた。筋道を立てれば解決できそうと思えるようになり、明確なアクションプランが見えることで、問題解決への希望を持つことができた」という感想も寄せられました。どちらのチームも目標の解決への道のりが明らかになると、それぞれに表情がどんどん明るくなっていったのが印象的でした。

■誰でも参加できる運動のノウハウを
 このCOJの考え方の大本には、問題の解決は誰か偉い人(力のある人)に頼んでやってもらうのではなく、自分たちで力を合わせて成し遂げるものという考え方があります。労働問題が社長に頼んで解決してもらうものでないことはもちろん、組合の担当者に解決してもらうものでもないということは、みなさんもご存じの通りです。
 日本の個人加盟の労働組合では、優れた活動家個人が持っているノウハウに過度に依存した組織運営が常態化していることによる歪みが深刻な問題となっています。これによって組合に何かを解決してもらおうという利用主義的な考え方が蔓延するとともに、ノウハウが共有されず、運動全体が衰退していってしまっています。
 COJでは誰でも運動を展開できるノウハウを学ぶことができます。この手法を吸収し労働運動の和を広く次の世代まで繋いでいきたいと思いました。
稲葉一良(書記長)

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【組合員の手記】解雇なのに「本人が退職を申し出た」という離職票が。2回の団交で解決!

2020年11日1日に入社したのがデジタルトランスフォーメーションを事業とするI社でした。

■一方的な解雇通告
 今回のI社ではITサポートエンジニアとしての一年間の有期雇用の契約社員であり、法律上は労使双方の合意が無く、契約では一年間は一方的に打ち切れないというものでした。3か月間の試用期間が定められていて、3か月目が終了する間際に「試用期間評価結果通知」という書面と「不合格」というメールが一方的に送られてきました。そこには2021年2月1日以降は契約の継続ができないと書いてありました。その解雇理由が、基本的なビジネスマナーの欠如とされ、1、コミュニケーション能力の不足、2、報告・連絡・相談の欠如、3、業務時間に連絡をしても無反応だったなど(すべてにおいて根拠なし)というものでした。

■たび重なる会社の不誠実な対応
 入社した2020年11月初め、まずおかしいなと思ったのが、約3週間も仕事を一つもさせてくれなかったことです。会社はわずか3か月の間にトレーニングも無しに2回もプロジェクトを変更させました。2021年1月29日に会社に呼び出されると、一方的に「契約を解除する」と言われました。団体交渉では、「能力が無い」と根拠がまったくない会社側の不満だけを主張していました。しかし、本来私に指示を出していたマネージャーが言うこととはまったく違うことでした。3月7日に自宅に戻ると会社から離職票が送られていて、中身は「本人が退職を申し出た」という偽造文書でした。私は契約を解除したいと申し出たことはありません。2回の団体交渉の末、会社側の脱法行為がすべてあぶり出され、4月に和解が成立しました。
 今回の解決に力を貸してくださった執行委員長の清水さん、書記長の稲葉さん、同じ仲間の組合員に感謝を述べさせていただきます。ありがとうございました。ちなみに、ICレコーダーは労働問題早期解決の必須アイテムです。

H(組合員)

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