プレカリアートユニオンブログ

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弱者の痛みを強烈に描いた喜劇作品。『レイニング・ストーンズ』(ケン・ローチ監督/1993年・イギリス)

弱者の痛みを強烈に描いた喜劇作品

『レイニング・ストーンズ』(ケン・ローチ監督/1993年・イギリス)

 『レイニング・ストーンズ』は1991年にイギリスで製作された映画です。監督はケン・ローチ。失業者の生活の苦悩を描いた社会派の喜劇です。これまで、ケン・ローチ監督の作品のなかでも特にリアリティを重視したシリアスな作品ばかりレビューしてきましたが、この作品も喜劇作品でありながら、シーンによっては見ているのが辛くなってしまうほど、弱者の痛みを強烈に描写しています。

■失業中で何をやっても上手くいかない主人公ジム

 主人公のジムは失業しています。映画は、彼が同じく失業中の仲間であるトミーと一緒にヤギを盗みに入るも、食肉処理するのが怖く尻込みする場面から始まります。ジムとトミーは生きたままヤギを肉屋に持ち込みますが、思ったような値段がつきません。ならばと、肉をさばいてもらい自分たちでバーの客に売って儲けようと思うも、これまた上手くいきません。それどころか、バーの前に停めておいた唯一の財産ともいえるバンを盗まれてしまう有様です。職を失い、何をやっても上手くいかないジムの苦悩が、序盤からコミカルに描かれています。

■見栄を張って高利貸しに借金
 ジムには家族がいます。妻のアンと、もうすぐ7歳を迎える1人娘のコリーンです。失業中のジムですが、コリーンに聖餐式の時に着るための高価なドレスを買ってあげたいと強く願っています。アンの父親から考え直すように言われ、神父からも無料で貸し出せるドレスがあると説得されてもジムの考えは変わりません。娘に対する強い愛情とともに、ジムの見栄っ張りな一面が垣間見えるシーンです。
 何とかお金を作り出そうとしてもなかなか上手くいかないジムは、周囲に黙ってとうとう高利貸しにお金を借りてしまいます。初めのうちは何とか返済できていたものの、やがて不渡りを出してしまいます。聖餐式の前日、アンとコリーンしかいない自宅に、高利貸しは突如としてやってきて家中を引っ掻き回し、金目のものを奪った挙げ句に、すぐに借金を返せと脅かします。この時点でジムの借金は借入時の倍以上に膨れ上がっていました。聖餐式への希望は一転して絶望へと変わってしまいました。
聖餐式とパトカー、ハラハラするハッピーエンド
 その晩、ジムは高利貸しの後を尾行し、彼が酔っ払っている隙をついて借用書を取り返そうと試みます。揉み合いになるも、借用書を奪うことはできず、高利貸しは復讐を宣言し車に乗り込みます。逃がすまいと、ジムはバールで車のフロントガラスをたたき割り、進路を阻みましたが、このことが原因で高利貸しはハンドル操作を誤り死んでしまいます。すぐに神父の元へ行き懺悔をし、自首することを告げますが、神父はその必要はないと貧しい多くの市民が高利貸しに苦しめられていたことを説き、借用書を燃やしはじめます。
 物語のラストシーンはコリーンの聖餐式です。聖餐式の最中、パトカーのサイレンが響きます。ジムは恐怖に青ざめた表情を浮かべますが、そんなジムの恐怖を裏切るかのように警察は盗まれた車が見つかったことを告げ映画は閉幕します。

■ありえない物語だからこそのリアリティ
 主人公のジムは架空の人物です。行動も突飛で、映画で起こる出来事もいかにも大げさに思えます。しかし、みなさんの知り合いや友人のなかにジムの特徴を持った人物、同じ苦しみをもった人物を思い浮かべることができるのではないでしょうか(あるいはそれはみなさん自身かもしれません)。社会問題や人物像をデフォルメし、フィクションとして描く手法を用いた本作からは、リアルを追求して描いた作品よりも強烈な「リアリティ」が伝わってきます。この映画が90年代初めの作品でありながら、今なお色あせることなく強く心に訴えかける作品なのは、作中で描かれた労働と貧困をはじめとする社会問題がいまだに解決していないこと、そして、他の誰かの話ではなく、自分自身の身に起こるかも知れない話として私たちに迫ってくる物語だからではないでしょうか。
稲葉一良(書記長)

『レイニング・ストーンズ』(ケン・ローチ監督/
1993年・イギリス)

 『レイニング・ストーンズ』は1991年にイギリスで製作された映画です。監督はケン・ローチ。失業者の生活の苦悩を描いた社会派の喜劇です。これまで、ケン・ローチ監督の作品のなかでも特にリアリティを重視したシリアスな作品ばかりレビューしてきましたが、この作品も喜劇作品でありながら、シーンによっては見ているのが辛くなってしまうほど、弱者の痛みを強烈に描写しています。

■失業中で何をやっても上手くいかない主人公ジム 主人公のジムは失業しています。映画は、彼が同じく失業中の仲間であるトミーと一緒にヤギを盗みに入るも、食肉処理するのが怖く尻込みする場面から始まります。ジムとトミーは生きたままヤギを肉屋に持ち込みますが、思ったような値段がつきません。ならばと、肉をさばいてもらい自分たちでバーの客に売って儲けようと思うも、これまた上手くいきません。それどころか、バーの前に停めておいた唯一の財産ともいえるバンを盗まれてしまう有様です。職を失い、何をやっても上手くいかないジムの苦悩が、序盤からコミカルに描かれています。

■見栄を張って高利貸しに借金
 ジムには家族がいます。妻のアンと、もうすぐ7歳を迎える1人娘のコリーンです。失業中のジムですが、コリーンに聖餐式の時に着るための高価なドレスを買ってあげたいと強く願っています。アンの父親から考え直すように言われ、神父からも無料で貸し出せるドレスがあると説得されてもジムの考えは変わりません。娘に対する強い愛情とともに、ジムの見栄っ張りな一面が垣間見えるシーンです。
 何とかお金を作り出そうとしてもなかなか上手くいかないジムは、周囲に黙ってとうとう高利貸しにお金を借りてしまいます。初めのうちは何とか返済できていたものの、やがて不渡りを出してしまいます。聖餐式の前日、アンとコリーンしかいない自宅に、高利貸しは突如としてやってきて家中を引っ掻き回し、金目のものを奪った挙げ句に、すぐに借金を返せと脅かします。この時点でジムの借金は借入時の倍以上に膨れ上がっていました。聖餐式への希望は一転して絶望へと変わってしまいました。
聖餐式とパトカー、ハラハラするハッピーエンド
 その晩、ジムは高利貸しの後を尾行し、彼が酔っ払っている隙をついて借用書を取り返そうと試みます。揉み合いになるも、借用書を奪うことはできず、高利貸しは復讐を宣言し車に乗り込みます。逃がすまいと、ジムはバールで車のフロントガラスをたたき割り、進路を阻みましたが、このことが原因で高利貸しはハンドル操作を誤り死んでしまいます。すぐに神父の元へ行き懺悔をし、自首することを告げますが、神父はその必要はないと貧しい多くの市民が高利貸しに苦しめられていたことを説き、借用書を燃やしはじめます。
 物語のラストシーンはコリーンの聖餐式です。聖餐式の最中、パトカーのサイレンが響きます。ジムは恐怖に青ざめた表情を浮かべますが、そんなジムの恐怖を裏切るかのように警察は盗まれた車が見つかったことを告げ映画は閉幕します。

■ありえない物語だからこそのリアリティ
 主人公のジムは架空の人物です。行動も突飛で、映画で起こる出来事もいかにも大げさに思えます。しかし、みなさんの知り合いや友人のなかにジムの特徴を持った人物、同じ苦しみをもった人物を思い浮かべることができるのではないでしょうか(あるいはそれはみなさん自身かもしれません)。社会問題や人物像をデフォルメし、フィクションとして描く手法を用いた本作からは、リアルを追求して描いた作品よりも強烈な「リアリティ」が伝わってきます。この映画が90年代初めの作品でありながら、今なお色あせることなく強く心に訴えかける作品なのは、作中で描かれた労働と貧困をはじめとする社会問題がいまだに解決していないこと、そして、他の誰かの話ではなく、自分自身の身に起こるかも知れない話として私たちに迫ってくる物語だからではないでしょうか。
稲葉一良(書記長)

movies.yahoo.co.jp

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