プレカリアートユニオンブログ

労働組合プレカリアートユニオンのブログ。解決報告や案件の紹介など。

多摩美術大学彫刻学科のハラスメント問題と笠原恵実子教授の雇用を守る取り組み

多摩美術大学彫刻学科のハラスメント問題・その後
荒木慎也(組合員、多摩美術大学非常勤講師)

変われなかった彫刻学科
 私は2019年7月にプレカリアートユニオンに加盟した。その理由は、多摩美術大学と組合との間で行われていた団体交渉に組合員として出席し、2018年度から表面化した多摩美術大学彫刻学科のアカデミック・ハラスメント問題の成り行きを見届けるためである。2019年12月に行われた団体交渉で区切りがついたため、本稿でこれまでの経緯をまとめておきたい。
 遡れば、ハラスメント問題が表面化したのは2018年2月。彫刻学科の学生有志が、劣悪な教育環境の改善を訴えるため、大学に改善の要望書を提出し、さらに「student.choukoku」というウェブサイト(https://sites.google.com/view/student-choukoku/home、2020年1月現在閲覧可能)を立ち上げたことによる。

https://sites.google.com/view/student-choukoku/home

ハラスメントの実情については、2019年8月のプレカリアートユニオン会報に掲載されたTさんのレポートに詳しいが、改めて私なりに経緯をまとめると以下の通りだ。

 多摩美術大学は各学科の自立性を尊重していたが、一部学科ではその自立性が閉鎖空間と権力の固定化を生み出した。とくに彫刻学科では危険な機材を扱うこと、また石、金属、木などの素材に神秘性を見出す考えが根強かったことから、使用素材ごとの縄張りも存在した。
 素材の縦割り構造が時代遅れとなり、自らの縄張りを守りたい教員と、複数の素材を横断して新表現を試みたい学生との齟齬が顕著になった。そうした学生の受け皿として、かつて諸材料教室が存在したが、2011年に廃止された。
 閉鎖空間の弊害として、彫刻学科の教育においては根性論・精神論が横行し、一部教員による学生への暴言や無視などのハラスメントが常態化していた。
 2014年に笠原恵実子氏が彫刻学科の教授に就任すると、他教員から笠原氏への暴言や差別的処遇が行われた。
 2016年に笠原氏の契約が更新されないという情報が流れ、彼女の大学残留を望む学生有志が大学に要望書を提出した。
 笠原氏の残留は決まったものの、彫刻学科の教育環境が一向に改善されなかったため、問題を世間に訴えるためにstudent.choukokuを立ち上げた。

 ウェブサイトが発足した当初こそ、各種メディアに取り上げられて話題を集めたが、情報の出し方の難しい繊細な問題だったこともあり、実態が世間に周知されたとは言い難かった。私自身も、多摩美内部で「学生が教員に扇動されている」や「笠原には近づかないほうがいい」などの噂を耳にしたこともあったほど、多くの誤解に包まれた事件だった。その後も学内では様々な事件や交渉があったものの、student.choukokuの中心メンバーが大学を卒業・修了し、ウェブサイトの更新が途絶えたこともあり、世間的には後味の悪さを残しただけの事件となった。学内では加害教員に対する厳重注意・注意処分も行われたが、処分を受けた教員の氏名等は公表されていない。さらに、当事者学生の話を聞く限り、処分後も教育環境は改善されなかったようだ。

笠原先生が異動?
 事態が大きく変化したのは、2019年に笠原氏が組合に加盟し、大学との団体交渉を開始した頃だろう。争点は大学における笠原氏の所属。笠原氏は任期こそ更新されたものの、彫刻学科の教員としての立場は不安定で、何としても彫刻学科から追い出したいという圧力を強く感じていたという。さらに、多摩美はエクスペリメンタル・ワークショップ(2020年1月時点で仮称、以下EWS)という機構を発足させることを2019年に決定した。EWSは建畠晢学長による新構想で、独立性の強い多摩美の各学科を横断する、大学院生を対象としたプログラムである。2020年4月から開講予定のEWSの専任教員として白羽の矢が立った(?)のが、領域横断的な制作活動を行い、ニューヨークでの実績もある笠原氏だった。
 笠原氏は、EWSへの異動について強い懸念を表明していた。というのも、少なくとも氏にとってはEWSの設立と人事があまりに唐突な話だったからだ。さらに、EWSは学科ではないので所属学生が存在しない。しかも、EWSの専任教員になると、これから改善を進めようという彫刻学科に関わることもできなくなる。彫刻学科内では依然としてハラスメントの余波が燻っていたこと、またこれまでの経緯を踏まえると、彫刻学科と大学による笠原外しの密約があるのではないか、という疑念を持たれても仕方ない状況だった。
 多摩美には組合が存在せず、人事に関する交渉を大学と行う場合は外部の労働組合に加盟する必要がある。そのため、笠原氏はプレカリアートユニオンを通じて人事異動の不適切性を問う形で団体交渉を行うことになった。多摩美関係者で当初から参加したのは笠原氏と彼女の指導学生でstudent.choukokuにも関わっていた卒業生2名。途中から大学非常勤講師の私と小田原のどか氏も組合に加盟し、団交に参加した。全部で5人の小さな組織だが、労働組合として要望を出せば、企業には誠実交渉の義務が発生する。こうした経緯から、笠原氏の労働条件をめぐる団交がはじまった。
 2019年5月から12月まで、団交は計5回開催された。大学側の出席者は、学長の建畠氏、総務部長、大学の顧問弁護士2名が毎回出席した。組合からは、プレカリアートユニオン執行委員長の清水直子氏と笠原氏が毎回出席。私を含む他4名は、各自都合のつく限りで参加した。
 第1回の団交で、大学側からは、EWSが従来の多摩美の教育を革新する非常に重要なプログラムであり、笠原氏こそが適任である、としてEWSへの専任就任の説得が行われた。一方、組合側は、EWS自体の教育的意義には賛同するものの、加害教員が彫刻学科に残り、被害者である笠原氏が異動するのは不誠実ではないか、と人事の見直しを要求した。笠原氏は妥協案として、彫刻学科からEWSへの移行期間を設け、その間は両組織の教育を行う兼担制の可能性を提案した。
 建畠氏がEWSに専任教員を置くことを強く希望していたこともあり、両者の主張は食い違った。第2回、第3回の団交では、笠原氏のEWSへの専任就任を求める大学側と、兼担として彫刻学科にも籍を残すべきだという組合側の意見が平行線となり、精神的に消耗する時期が続いた。
 変化が訪れたのは11月に行われた第4回団交である。組織的な笠原外しではないかという組合側の疑念に対して、大学側は彫刻学科との密約がない証明として、期間限定の専任という妥協案を提示した。EWS立ち上げで重要な期間となる最初の2年程度、笠原氏に専任として異動してもらい、その後彫刻学科に戻るか、あるいは兼担するかの選択肢を与える、というものだ。
 この妥協案も組合側としては大いに問題含みだった。というのも、時期はすでに11月、笠原氏は大学院進学を検討する学生の進路相談を受けており、笠原氏が彫刻学科から突然いなくなるのは学生に対する裏切り行為になる。また、たとえ密約がないにしても、ハラスメント被害者の笠原氏が異動になるのは対外的に大きな誤解を生む。以上のことから、笠原氏は最初の1~2年間を兼担にする、複数教員の兼担による組織にする、などの代替案を提示した。結果として、ここでも最終的な合意は得られなかった。
 最後の団交は12月25日。来年度のEWS開講に向けて動かなければならない大学は、これ以上の説得や、強制的な人事異動は無理筋と判断したのだろう。団交の席で告げられたのは、笠原氏のEWSへの異動を諦め、今後も彫刻学科の教員として残ってもらう、という提案だった。建畠氏からは、密約などではなく本心から笠原氏が適任だと考えていたことが伝えられた。また、笠原氏は提案を了承し、EWSの教育的意義には理解を示していること、EWSを担当できないことに対する遺憾の意を大学側に伝えた。

団交は改革への第一歩
 以上が、多摩美術大学と組合との間で行われた団交のあらすじである。一応は組合側の「勝利」で決着を見たが、交渉できたのはあくまでも笠原氏の所属についてであり、本来の目的であるハラスメント対策はこれからの課題だ。その点を踏まえて、最後に今後の展望に触れたい。
 第一に、本来特筆するべきことではないのだが、それでも多摩美が団交に応じたという事実は注目したい。多摩美に限らず大学を舞台にした団交の事例は多数存在するが、残念ながらニュース等で耳にするのは団交に応じない・団交を一方的に打ち切る大学の話題ばかりだ。そのような中で、多摩美が団交に応じ、さらに人事を強行しなかった判断は評価できる。多摩美にはこの決断に胸を張り、学内における意見交換の活性化への一歩と位置づけて欲しい。
 第二に、団交終了でハラスメント問題を風化させるのではなく、教育改善への契機として次につなげて欲しい。勇気ある学生たちの功績で、彫刻学科は被害根絶への第一歩を踏み出した。今後は問題を隠すのではなく、学生たちの意思を受け継いで、対策・改善を積極的に実施するほうが、大学の長期的なイメージ向上にもつながるはずだ。我々組合員も、教育環境やハラスメント問題への対処方法などの改善を大学に働きかける必要があるし、また情報を発信することで、当事者の名誉回復や議論の継続をはかりたい。