プレカリアートユニオンブログ

労働組合プレカリアートユニオンのブログ。解決報告や案件の紹介など。

プレカリアートユニオン企画「三池炭坑労働者の闘いを知ろう」 組合が弱体化すると会社は安全配慮義務を怠る

プレカリアートユニオン企画「三池炭鉱労働者の闘いを知ろう」
職場の安全を守るには組合の力が必要


 昨年12月21日に、「労働映画を見て話す会」の第1回として、映画『三池〜終わらない炭鉱の物語』(熊谷博子監督)を見て、東京管理職ユニオンの設楽清嗣さんのお話を聞く集いを持ちました。設楽さんは、三池闘争には、1960年にホッパー前での闘争に参加したそうです。
 設楽さんは、この映画の優れているところは三つある、として次のように語りました。
「熊谷博子監督がすごいのは、一つめは、労働運動の最先端で闘った三池炭鉱の現場で、歴史的差別が続いていることを明らかにし、最も差別された人を描いたこと。与論島からの移住者、朝鮮・中国からの戦争中の強制連行と英米人の捕虜を働かせたこと。さらに明治時代から囚人労働があったこと。そういう最も差別された階層の人が三池鉱山で働いていたことは、日本の重大な近代史の一つ」。

第二組合による第一組合弱体化の事実が明らかに
「この映画が優れていることの二つめは、第二組合ができていく課程で、会社の人事担当者の陰謀を丁寧に記したメモ書きを具体的な事実として明らかにしたこと。第二組合を作るときにはお金を出したのかという熊谷監督の質問についても、ええ、まぁと答えている。戦後は、傾斜生産方式で石炭と鉄鋼を重点的に生産するという政策が行われた。三池、筑豊の炭鉱に行けば食えるということで、食い詰めた人が働き始めた。その後の朝鮮戦争の特需に対応し、高度成長の前期は石炭に依存する日本経済だったため、炭鉱はドル箱だった。当然、労働組合は強くなっていく。経営者は、その強い労働組合をどのようにたたきのめし、分断し、弱体化させるかということを何回も試みた。石炭産業が斜陽になる最終段階で、大規模な人員整理を行い、抵抗する労働組合員に対する大規模な指名解雇を行った」。

向坂理論の実験材料になったことへの疑問
「三つめは、主婦会の副会長だった女性の発言で、向坂先生の理論の実験材料になった、と疑問を提起したこと。これは禁句だった。三井三池労組を担った活動家集団を理論的に支えたのが向坂理論。向坂逸郎というのは、『資本論』の翻訳者であり、社会主義協会派の理論家で、賃労働と資本の対立について最も原理的なことを労働者に教えるために努力した人。私が労働運動をしていて、彼の理論に最も疑問を覚えるのは、我々は最終的な社会主義革命の勝利を得るまでは、労働運動は敗北をしてもやむを得ない、という理論。敗北するために闘い負け続けて最後に勝利するのが社会主義革命だ、というような理論だ。私は、冗談じゃない、負け続けるのなんか嫌だ、一つひとつ勝ち続けながら前進したい。そのなかで、この資本主義社会のなかに、労働者が主軸になるような新しい形態の片鱗を作りたいというのが私の考え」。

組合が弱体化すると会社は安全配慮義務を怠る
 映画では、三井三池闘争の収束による第一組合の就労の結果、経営者側が安全配慮義務を怠っていく課程が描かれていました。
 設楽さんは、その結果、1963年の炭塵爆発によって多数の労働者が亡くなったことに触れ、「労働組合が弱るということは、安全配慮義務がないがしろにされること。今のJRでも同じことが起きた。国鉄の分割民営化のなかで1047名が解雇され、労働組合が闘っても闘いきれない弱さのなかで、JRでは安全配慮を怠った事件が多発した。労働組合は、乗客の安全を守るためにも、労働者の安全を守るためにも労働組合の力が必要だと確信をもって言える。今も流通業界のトラック運転手の働き方は、安全配慮義務を怠っているがゆえにたくさんの事故が発生している。労働組合の力を根底から再建して、安全配慮義務に満ちた職場を作らなければならない。労働組合運動は困難を経てえ、たくさんの犠牲も払いながらこれからも続いていく。それが、私たちの闘い方だし、それが私たちの生活をよくしていく方法だと思う」と語りました。

現場決戦以外のあらゆることももっとやるべき
 懇親会で、映画に登場する女性が、三池闘争は「向坂理論の実験場だった」という趣旨の発言をしたことについて、さらに詳しくその意味をお聞きし、どうしたらよかったと思いますか、と聞いてみました。
 設楽さんは、自分がオルガナイザーなら、ホッパー前の決戦はもっと激しくやる、政治的な工作も含めて現場の決戦以外のあらゆることを、もっとやると答えてくれました。向坂理論というものが、革命のためには、そこに至るまでの労働運動は敗北してもやむを得ないという理論だから、現場での決戦にばかり重きを置くことになってしまった、ということだと理解しました。過去のさまざまな労働運動から学び、教訓を得ていきたいと思います。