プレカリアートユニオンブログ

労働組合プレカリアートユニオンのブログ。解決報告や案件の紹介など。

「すべての人々」が安心して働ける職場環境の実現を目指して 5月1日・トランスメーデーのオンラインイベントが大盛況で終了

「すべての人々」が安心して働ける職場環境の実現を目指して トランスメーデーのオンラインイベントが大盛況で終了

各地でメーデーの集会や催しが行われた5月1日、プレカリアートユニオンでは17時からオンラインでトランスメーデーを開催されました。ライターでトランスジェンダー活動家の畑野とまとさんをゲストに迎え、組合からは清水直子委員長、看護師でLGBT活動家の浅沼智也さんが登壇し、およそ2時間にわたり、LGBT当事者を取り巻く労働環境や生活環境、差別や偏見の問題についてなどのトークを行いました。オンラインでの参加は20名ほどの申し込みがあり、会場でも数名の組合員が参加するなど、イベントは大盛況で終了しました。

■トランスバッシングについて
ゲストの畑野とまとさんは、いわゆる「トランスバッシング」の問題について、主にトランス女性を犯罪と結びつけてバッシングする行為は、さまざまなマイノリティに対して用いられる「典型的な差別の形式」であるとし、移民と犯罪を結びつけたアメリカのトランプ前政権の例を挙げて強く警鐘を鳴らしました。これらは、民族人種差別を行うレイシストたちの発想そのものです。実際に、トランス女性が犯罪者かもしれないという理由で一緒のトイレを使われると怖いという論調は、誰が犯罪者かわからないから中東諸国の人間を入国させないとした差別的政策と大きく重なる部分があります。

■LGBT当事者が働きやすい環境は誰にとっても安心して働ける働きやすい環境
プレカリアートユニオンでは、「ジェンダーセクシャリティに関係なく誰もが働きやすい職場環境」の実現を目指すプロジェクトを始動させ、YouTube動画でLGBT労働相談についてアピールをし、事務所の近所でもある新宿二丁目、三丁目のコミュニティと積極的に繋がるなど、LGBT当事者がSOGIハラの被害などに遭っていてもなかなか労働組合と繋がれないという問題を解消するための活動を更に活発化しています。今回のトランスメーデーはその活動の成果が実を結んだものでした。

この記事を執筆しているさなか、自民党議員によるLGBT当事者への差別発言が報じられ、強い怒りと憤りを覚えました。世の中は当事者への差別と偏見に満ちています。私たちプレカリアートユニオンは、これからも当事者と連帯し、本当の意味で「すべての人々」が安心して働ける職場環境の実現を目指していきます。

稲葉一良(書記長)

【労働相談は】
誰でも1人から加入できる労働組合
プレカリアートユニオン
〒160-0004東京都新宿区四谷4-28-14パレ・ウルー5F
ユニオン運動センター内
TEL03-6273-0699 FAX03-4335-0971
ウェブサイト https://www.precariat-union.or.jp/
ブログ https://precariatunion.hateblo.jp/
メール info@precariat-union.or.jp

※6月26日にイベントを開催します。

precariatunion.hateblo.jp

f:id:kumonoami:20210506130849j:plain

 

f:id:kumonoami:20210601113215j:plain

 

Pride Month 2021 トランスジェンダー当事者の日常と職場 映画『I Am Here~私たちは ともに生きている~』上映とトーク

Pride Month 2021
トランスジェンダー当事者の日常と職場
映画『I Am Here~私たちは ともに生きている~』上映とトーク

日本のトランスジェンダー当事者が日常生活で直面する不安や孤独感など複雑な問題にもフォーカスしたドキュメンタリー映画。上映後、自身もトランス男性である監督、浅沼智也のトークを行います。

日 時:2021年6月26日(土)13時30分から16時
会 場:足湯cafe&barどん浴
    https://donyoku.dosl2018.net/access
    東京都新宿区新宿2-7-3ヴェラハイツ新宿御苑203
    TEL03-6273-2841
参加費:1200円。
    ※1ドリンクの注文をお願いします。ドリンク代別。釣り銭のないようにご協力をお願いいたします。
定 員:15人。
    ※酒類の提供はできません。マスクの着用をお願いします。当日、体調がすぐれない方は参加をご遠慮ください。
申 込:info@precariat-union.or.jp 氏名(ニックネーム可)を記載してください。

トーク
浅沼智也(トランス男性/看護師)
ダイアログ瞬(SDGsバー「新宿ダイアログ」店長/アーティスト/モデル)
清水直子プレカリアートユニオン執行委員長)

映画『I Am Here~私たちは ともに生きている~』 

iamhere-trans.jp


監 督:浅沼智也(あさぬまともや) 1989年、岡山県生まれ。トランス男性。自身の経験を踏まえトランスジェンダーがより生きやすい社会になるよう活動をしている。プレカリアートユニオン組合員。著書に『虹色ジャ~ニ→ 女と男と時々ハーフ』(文芸社)。

主 催:プレカリアートユニオン
    〒160-0004東京都新宿区四谷4-28-14パレ・ウルー5F
    TEL03-6273-0699 FAX03-4335-0971
    ウェブサイトhttps://www.precariat-union.or.jp/
    ブログhttps://precariatunion.hateblo.jp/
    メールinfo@precariat-union.or.jp
誰でも1人から加入できる労働組合プレカリアートユニオンは、2015年からLGBT労働相談を呼びかけ、取り組んできました。この間、SOGIハラ性的指向性自認に係わるハラスメント)、アウティングなどの問題について相談を受け、労働組合として使用者と団体交渉を行い、解決しています。LGBTQs当事者が労働組合に相談、加入して就労環境を改善することが当たり前になることを目指して、LGBT労働相談キャンペーンに取り組んでいます。

f:id:kumonoami:20210426141113j:plain

f:id:kumonoami:20210426141044j:plain

 

解雇、未払い賃金問題などについて交渉していた埼玉県内の自動車販売店と和解!

解雇、未払い賃金問題などについて交渉していた埼玉県内の自動車販売店と和解しました。

【労働相談は】
誰でも1人から加入できる労働組合
プレカリアートユニオン
〒160-0004東京都新宿区四谷4-28-14パレ・ウルー5F
ユニオン運動センター内
TEL03-6273-0699 FAX03-4335-0971
ウェブサイト https://www.precariat-union.or.jp/
ブログ https://precariatunion.hateblo.jp/
メール info@precariat-union.or.jp

youtu.be

f:id:kumonoami:20210317173626j:plain

 

弱者の痛みを強烈に描いた喜劇作品。『レイニング・ストーンズ』(ケン・ローチ監督/1993年・イギリス)

弱者の痛みを強烈に描いた喜劇作品

『レイニング・ストーンズ』(ケン・ローチ監督/1993年・イギリス)

 『レイニング・ストーンズ』は1991年にイギリスで製作された映画です。監督はケン・ローチ。失業者の生活の苦悩を描いた社会派の喜劇です。これまで、ケン・ローチ監督の作品のなかでも特にリアリティを重視したシリアスな作品ばかりレビューしてきましたが、この作品も喜劇作品でありながら、シーンによっては見ているのが辛くなってしまうほど、弱者の痛みを強烈に描写しています。

■失業中で何をやっても上手くいかない主人公ジム

 主人公のジムは失業しています。映画は、彼が同じく失業中の仲間であるトミーと一緒にヤギを盗みに入るも、食肉処理するのが怖く尻込みする場面から始まります。ジムとトミーは生きたままヤギを肉屋に持ち込みますが、思ったような値段がつきません。ならばと、肉をさばいてもらい自分たちでバーの客に売って儲けようと思うも、これまた上手くいきません。それどころか、バーの前に停めておいた唯一の財産ともいえるバンを盗まれてしまう有様です。職を失い、何をやっても上手くいかないジムの苦悩が、序盤からコミカルに描かれています。

■見栄を張って高利貸しに借金
 ジムには家族がいます。妻のアンと、もうすぐ7歳を迎える1人娘のコリーンです。失業中のジムですが、コリーンに聖餐式の時に着るための高価なドレスを買ってあげたいと強く願っています。アンの父親から考え直すように言われ、神父からも無料で貸し出せるドレスがあると説得されてもジムの考えは変わりません。娘に対する強い愛情とともに、ジムの見栄っ張りな一面が垣間見えるシーンです。
 何とかお金を作り出そうとしてもなかなか上手くいかないジムは、周囲に黙ってとうとう高利貸しにお金を借りてしまいます。初めのうちは何とか返済できていたものの、やがて不渡りを出してしまいます。聖餐式の前日、アンとコリーンしかいない自宅に、高利貸しは突如としてやってきて家中を引っ掻き回し、金目のものを奪った挙げ句に、すぐに借金を返せと脅かします。この時点でジムの借金は借入時の倍以上に膨れ上がっていました。聖餐式への希望は一転して絶望へと変わってしまいました。
聖餐式とパトカー、ハラハラするハッピーエンド
 その晩、ジムは高利貸しの後を尾行し、彼が酔っ払っている隙をついて借用書を取り返そうと試みます。揉み合いになるも、借用書を奪うことはできず、高利貸しは復讐を宣言し車に乗り込みます。逃がすまいと、ジムはバールで車のフロントガラスをたたき割り、進路を阻みましたが、このことが原因で高利貸しはハンドル操作を誤り死んでしまいます。すぐに神父の元へ行き懺悔をし、自首することを告げますが、神父はその必要はないと貧しい多くの市民が高利貸しに苦しめられていたことを説き、借用書を燃やしはじめます。
 物語のラストシーンはコリーンの聖餐式です。聖餐式の最中、パトカーのサイレンが響きます。ジムは恐怖に青ざめた表情を浮かべますが、そんなジムの恐怖を裏切るかのように警察は盗まれた車が見つかったことを告げ映画は閉幕します。

■ありえない物語だからこそのリアリティ
 主人公のジムは架空の人物です。行動も突飛で、映画で起こる出来事もいかにも大げさに思えます。しかし、みなさんの知り合いや友人のなかにジムの特徴を持った人物、同じ苦しみをもった人物を思い浮かべることができるのではないでしょうか(あるいはそれはみなさん自身かもしれません)。社会問題や人物像をデフォルメし、フィクションとして描く手法を用いた本作からは、リアルを追求して描いた作品よりも強烈な「リアリティ」が伝わってきます。この映画が90年代初めの作品でありながら、今なお色あせることなく強く心に訴えかける作品なのは、作中で描かれた労働と貧困をはじめとする社会問題がいまだに解決していないこと、そして、他の誰かの話ではなく、自分自身の身に起こるかも知れない話として私たちに迫ってくる物語だからではないでしょうか。
稲葉一良(書記長)

『レイニング・ストーンズ』(ケン・ローチ監督/
1993年・イギリス)

 『レイニング・ストーンズ』は1991年にイギリスで製作された映画です。監督はケン・ローチ。失業者の生活の苦悩を描いた社会派の喜劇です。これまで、ケン・ローチ監督の作品のなかでも特にリアリティを重視したシリアスな作品ばかりレビューしてきましたが、この作品も喜劇作品でありながら、シーンによっては見ているのが辛くなってしまうほど、弱者の痛みを強烈に描写しています。

■失業中で何をやっても上手くいかない主人公ジム 主人公のジムは失業しています。映画は、彼が同じく失業中の仲間であるトミーと一緒にヤギを盗みに入るも、食肉処理するのが怖く尻込みする場面から始まります。ジムとトミーは生きたままヤギを肉屋に持ち込みますが、思ったような値段がつきません。ならばと、肉をさばいてもらい自分たちでバーの客に売って儲けようと思うも、これまた上手くいきません。それどころか、バーの前に停めておいた唯一の財産ともいえるバンを盗まれてしまう有様です。職を失い、何をやっても上手くいかないジムの苦悩が、序盤からコミカルに描かれています。

■見栄を張って高利貸しに借金
 ジムには家族がいます。妻のアンと、もうすぐ7歳を迎える1人娘のコリーンです。失業中のジムですが、コリーンに聖餐式の時に着るための高価なドレスを買ってあげたいと強く願っています。アンの父親から考え直すように言われ、神父からも無料で貸し出せるドレスがあると説得されてもジムの考えは変わりません。娘に対する強い愛情とともに、ジムの見栄っ張りな一面が垣間見えるシーンです。
 何とかお金を作り出そうとしてもなかなか上手くいかないジムは、周囲に黙ってとうとう高利貸しにお金を借りてしまいます。初めのうちは何とか返済できていたものの、やがて不渡りを出してしまいます。聖餐式の前日、アンとコリーンしかいない自宅に、高利貸しは突如としてやってきて家中を引っ掻き回し、金目のものを奪った挙げ句に、すぐに借金を返せと脅かします。この時点でジムの借金は借入時の倍以上に膨れ上がっていました。聖餐式への希望は一転して絶望へと変わってしまいました。
聖餐式とパトカー、ハラハラするハッピーエンド
 その晩、ジムは高利貸しの後を尾行し、彼が酔っ払っている隙をついて借用書を取り返そうと試みます。揉み合いになるも、借用書を奪うことはできず、高利貸しは復讐を宣言し車に乗り込みます。逃がすまいと、ジムはバールで車のフロントガラスをたたき割り、進路を阻みましたが、このことが原因で高利貸しはハンドル操作を誤り死んでしまいます。すぐに神父の元へ行き懺悔をし、自首することを告げますが、神父はその必要はないと貧しい多くの市民が高利貸しに苦しめられていたことを説き、借用書を燃やしはじめます。
 物語のラストシーンはコリーンの聖餐式です。聖餐式の最中、パトカーのサイレンが響きます。ジムは恐怖に青ざめた表情を浮かべますが、そんなジムの恐怖を裏切るかのように警察は盗まれた車が見つかったことを告げ映画は閉幕します。

■ありえない物語だからこそのリアリティ
 主人公のジムは架空の人物です。行動も突飛で、映画で起こる出来事もいかにも大げさに思えます。しかし、みなさんの知り合いや友人のなかにジムの特徴を持った人物、同じ苦しみをもった人物を思い浮かべることができるのではないでしょうか(あるいはそれはみなさん自身かもしれません)。社会問題や人物像をデフォルメし、フィクションとして描く手法を用いた本作からは、リアルを追求して描いた作品よりも強烈な「リアリティ」が伝わってきます。この映画が90年代初めの作品でありながら、今なお色あせることなく強く心に訴えかける作品なのは、作中で描かれた労働と貧困をはじめとする社会問題がいまだに解決していないこと、そして、他の誰かの話ではなく、自分自身の身に起こるかも知れない話として私たちに迫ってくる物語だからではないでしょうか。
稲葉一良(書記長)

movies.yahoo.co.jp

f:id:kumonoami:20220121115705j:plain

 

 

30年変わらない「企業中心」社会への問題提起。『企業中心社会を超えて‐現代日本を〈ジェンダー〉で読む』(大沢真理著/岩波現代文庫)

30年変わらない「企業中心」社会への問題提起
『企業中心社会を超えて‐現代日本を〈ジェンダー〉で読む』(大沢真理著/岩波現代文庫

 私たちの暮らす世の中が、企業を中心に構成されていると聞いても、多くの方は何の疑問も抱かないでしょう。大沢真理著『企業中心社会を超えて』は1993年に時事通信社から刊行された「企業中心」社会の歪みをジェンダーの視点から捉えた1冊です。

■企業中心社会は男性中心社会
 日本社会は、男性が働き女性は家で家事をすることを前提に成り立っていました。この男性の労働が、戦後の復興、オイルショックなどを経て、大企業中心のものになっていきます。この企業中心社会による構造的な差別により、多くの女性が、不当に将来の可能性を狭められ、賃金・キャリアにおける差別を受け続けています。企業中心社会とは男性中心社会のことなのです。当時の統計では、男性と女性の賃金格差は世界でも極めて深刻化しており、女性が就ける職業職種も極めて限定的なものでした。本書では、パートが身分であるということをいち早く主張しています。

社会保障にも生じる格差
 また、年金制度などの社会保障も大企業に勤める人々を特に手厚く優遇したものになっています。福祉政策を見ても、家父長的ジェンダーに依拠したものが多く、家庭の経済基盤を男性が支えることが大前提になっています。そんな社会のなかで、社会保障の網の目からこぼれ落ちてしまう女性たちがいることを本書は指摘します。

■問題は今も変わらず
 およそ30年前に執筆されたこの本が提起した企業中心社会の問題は、はたして過去のものでしょうか。現在でもまったく根本的な問題は解決に至っていないということを、著者は巻末に付記しています。本書を読むことで、非正規差別にシングルマザーの貧困、私たちが今現在解消していかなければならない問題の源流に触れることができます。

※本レビューは、2020年に岩波現代文庫からあらためて出版された同書を読み執筆
稲葉一良(書記長)

www.iwanami.co.jp

f:id:kumonoami:20210507172353j:plain

 

日本の労働組合の将来あるべき姿とは。『労働組合とは何か』(木下武男著/岩波新書)

日本の労働組合の将来あるべき姿とは
労働組合とは何か』
(木下武男著/岩波新書)

 私たち労働組合は、日々さまざまな職場の労働条件を維持向上するために活動をしています。木下武男著『労働組合とは何か』は、そんな労働組合の生まれる前の原風景、黎明期からどのように発展、もしくは衰退し、今日の姿に至るかの歴史を解説し、現在、日本の労働運動が抱えている課題と可能性について論じた1冊です。

■労働運動の歩み
 労働組合の遠祖としてギルドが挙げられます。ギルドとは中世ヨーロッパの職人などで組織された職業別組合で、排他的・特権的な性質を持っていました。そのギルドが時代とともに変容し、初期の労働組合となります。初期の労働組合は非合法の秘密結社でしたが、世界中で労働組合を求める運動が起こり、それが時には暴動にもなり多くの血を流しながら人々の権利として合法の労働組合が誕生します。
 日本でも、戦後に権利として労働組合の設立が認められ、独自の発展を遂げてきました。現在、日本の労働組合の大多数は大企業の企業別組合であり、行き過ぎた労使協調により、そのほとんどが正しく機能していません。

■ゼネラルユニオンは日本の労働組合の新生への巨歩
 企業別に存在する組合では、資本主義社会における企業間の競争の影響を受け、十分な労働運動を展開できません。諸外国を見ると、産別の労働運動が力を発揮しています。日本ではこの産別運動が根付きませんでした。例外的に、関西生コン支部が強く闘い、労働者の権利の獲得を実現していますが、不当逮捕など権力から強烈な弾圧を受けています。
 本書で日本の労働運動の希望としてあげられているのは、ゼネラルユニオンです。ただのユニオンではなく、業種別の部会が横並びしながら1つに結びついている結合体で、私たち誰でもひとりでも入れる労働組合の将来あるべき姿のひとつともいえます。
 本書を読み、私たちも支部の繋がりをさらに強め「産業のあり方を問う」労働運動をより活発に展開していきたいと切に思いました。

 稲葉一良(書記長)

www.iwanami.co.jp

f:id:kumonoami:20210507171605j:plain

 

海を受け取る私たちへのメッセージ。『海をあげる』(上間陽子著/筑摩書房)

海を受け取る私たちへのメッセージ
『海をあげる』(上間陽子著/筑摩書房

 2020年11月半ばの土曜日に「今日はゆっくり本が読めるな」と、少し前に上間陽子さんが書かれたノンフィクション『裸足で逃げる沖縄の夜の街の少女たち』を読んでいたけれど、それとは違うホッとするような安らげる本、くらいの気持ちでエッセイ集『海をあげる』を読み始めた。しかしすぐに「これは凪ないだ海の話じゃないんだ」と気づいた。読むのにこんなにエネルギーを必要とする本だったとは。せめてもの救いは自宅で読み始めたこと。私は最初から最後まで号泣し、読み終わったときにはへとへとだった。へとへとな自分に「この海をひとりで抱えることはもうできない。だからあなたに海をあげる」と真っ暗な海の中でまっすぐに視線を合わせて言われたように感じた。

■凪いだ海ではなく、荒波だった
 この本には、タイトル『海をあげる』を含む12のエッセイが収録されている。最初の『美味しいごはん』は、上間さんご自身の経験が書かれているのだが、読んでいると私自身の経験が思い出され、「毎日ご飯を食べると約束しなさい」と電話で言ってくれた父の声や、お昼や夜にご飯を食べに誘ってくれた同僚たちの顔が次々に浮かび、その時の感情がよみがえり、涙が止まらなくなった。まるで、凪いだ海にボートを漕ぎだしたと思ったのに、荒波でボートは激しく揺れ始めたように感じた。
 『美味しいごはん』は、上間さんがどういう人たちを大事に思い、どういうつながりを大事にしているか、その基には語られた経験があり、今のお仕事や力を入れていることにつながっていることがとてもよくわかった。

■沖縄の深い海
 他のエッセイでは、沖縄で暮らす中で、生きていくということは、何を大事にして、大事に思うからこそ何に苦しむのかを、生々しく、飾ることなく綴られている。その中に、「日本という国と沖縄県」の関係の比喩かな?と感じる文章や、本来沖縄の人同士がいがみ合ったり傷付け合ったりする必要はまったくないのに、外から持ち込まれた分断があちこちに見られる状況を教えてくれる描写がある。
 『何も響かない』は、読んでいると深い海の中にいるような感覚になる。上間さんが聞き取り調査をして、寄り添いをしている女性たちの一人である七海さんが「期待して裏切られて傷ついて、周りに不信感を抱き深く沈む」様子は、何度も米軍基地はいらない、減らして、新しい基地は作らないでと民主主義のルールに則って声をあげている沖縄と重なる。
 『アリエルの王国』には、2018年2月24日の辺野古新基地建設の是非を問う県民投票で、反対の民意が示されたにも関わらず、土砂が投入された日のことが綴られている。上間さんの娘、風花さんが「ケーサツは怖かった?」と上間さんに聞く。「今日はみんな優しかったよ。ケーサツのひとも、今日は静かだったよ」と報告する。この描写はまるで警察官である沖縄県民は、好き好んで基地建設に反対の声をあげる沖縄県民を日々排除しているわけではないことを教えてくれているようだった。
 『海をあげる』には、「沖縄で基地と暮らすひとびとの語らなさの方が目についた」とある。2016年に20歳の女性がウォーキング中、米軍の元兵士に殺される事件があったが、その同じコースを自分も歩いていたという女性は、「事件を怖いと思ったこと、だから自分で自衛したい」としか語らなかったという。沖縄の人たちを黙らせているのは誰なのか、読み手である私たちに問いかけていると感じた。

■沖縄の暮らしとともにあるもの
 あとがきの後ろに、上間さんがこの本を書くことと関連した聞き取り調査の日付が掲載されている。これだけの回数の調査をして、聞き取りをした相手に、助けが必要であれば病院に付き添い、家に行って関係する人と話すこともされている。上間さんの本業である大学の仕事もしつつ、主に若くして妊娠、出産をした女性たちに聞き取りの調査をしている。娘・風花さんにとっての困難は、立ち向かっていけるくらいになってからきますようにという願いも綴られているが、沖縄で暮らす人たちにとって“米軍基地問題”は新聞やネットで議論されるだけで自分の生活と離れたものではなく、常にそこにあるものでだからこそ向き合わざるを得ないものだとわかる。自分が大切に思う人がいるからこそ、この世の中が望む状態であったらいいと人は思う。あきらめたくないと思える。

レビューアー:安谷屋貴子(あだにや・たかこ)
NPO法人コミュニティ・オーガナイジング・ジャパン(COJ)代表理事。父親の出身地である沖縄で学生時代を過ごし、自らのルーツ探しと沖縄における米軍基地問題を学ぶ。2013年から福島県で復興支援員を務め、2017年からCOJ職員。

www.chikumashobo.co.jp

f:id:kumonoami:20210507163948j:plain