プレカリアートユニオンブログ

労働組合プレカリアートユニオンのブログ。解決報告や案件の紹介など。

ダイジェスト映像を公開!映画『I Am Here~私たちはともに生きている~』上映イベント/6月26日・どん浴

プレカリアートユニオンが主催し6月26日に開催した催しのダイジェスト映像を公開しました。

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写真はこちら→

precariatunion.hateblo.jp


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映画『I Am Here~私たちはともに生きている~』上映イベント盛況。トランスジェンダーの日常と職場テーマに参加者みんなで語り合う
 6月26日(土)、事務所から程近くにある足湯cafe&barどん浴にてプレカリアートユニオン主催のイベント「トランスジェンダー当事者の日常と職場」が開催されました。組合員で、LGBT当事者&活動家でもある浅沼智也さんが初監督を務めた映画「I Am Here~私たちはともに生きている~」の上映が行われた後、浅沼さんに加え、ゲストにSDGsバー「新宿ダイアログ」の店長、アーティスト、モデルのダイアログ瞬さん、組合からは清水直子執行委員長が登壇し、トランスジェンダーが日常や職場で直面する様々な問題についてをテーマにトークセッションが行われました。
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労働相談は 誰でも1人から加入できる労働組合
プレカリアートユニオン
〒160-0004東京都新宿区四谷4-28-14パレ・ウルー5F
TEL03-6273-0699 FAX03-4335-0971
ウェブサイト https://www.precariat-union.or.jp/
ブログ https://precariatunion.hateblo.jp/
メール info@precariat-union.or.jp

 

コロナ禍で急拡大!インターネット上のプラットフォームを通して仕事をしている便利屋さんの声を募っています

プレカリアートユニオンは、コロナ禍で拡大する非雇用の労働者(組合員)の訴訟を支援しています。
コロナ禍の雇用環境悪化に乗じて嘘の求人で労働者をおびき寄せる、バイク便の会社に対し、組合員2名が原告となって、労働者性を前提とした未払い賃金の請求訴訟を2020年12月に東京地裁に提起。
生活関連サービスのプラットフォームビジネス「くらしのマーケット」から一方的に掲載停止された組合員2名が原告となって、優越的地位の濫用(独占禁止法2条9項5号)による処分に対する損害賠償を請求し、2021年1月に東京地裁に提訴。

この間、コロナ禍でフードデリバリーサービスなどのプラットフォームワーカーが急増するなか、プラットフォームワーカーは、法整備が不十分なまま、不安定な働き方を強いられています。
プレカリアートユニオンでは、プラットフォームワーカーの現場の声を集め、プラットフォームワークの現状と課題を明らかにするため、プラットフォームワーカーの声を募ることにしました。
そして、プラットフォームワーカーが尊厳を持って、安心して働ける環境の実現のため、政策提言などにつなげていきます。
お知り合いへの転送・転載にご協力くださるよう、お願いいたします。
https://precariatunion.hateblo.jp/entry/2021/07/08/173830

 

 

 ウーバーイーツ配達員など、インターネット上のプラットフォームから仕事を受けて働く働き方が増えています。
 このような働き方は、ギグワークやプラットフォームワークと呼ばれます。ギグとは、一夜限りのバンドの演奏などをさす言葉で、転じて、単発の仕事をこなす働き方を指すようになりました。また、インターネット上のプラットフォームに登録して仕事を得る働き方であることから、プラットフォームワークと呼ばれます。
 コロナ禍で求人が減ったことなどから、ギグワーカー、プラットフォームワーカーが急増しています。配達員だけではなく、一日だけ働く飲食店の店員、買物代行、家事代行から引越し作業まで、あらゆる仕事がスマートフォンのアプリでギグワーク化しています。こうしたギグワーカーは、現在約308万人に達し、昨年の5倍に増えたと言われています。
 プラットフォームワークは、新しい就労形態を提供しましたが、同時に様々な問題も発生しています。
 そのなかでも、最も深刻な問題の一つは、プラットフォーム企業による一方的な契約終了行為です。プラットフォーム企業は、プラットフォームワーカーがプラットフォーム上に有するアカウントを停止することで、プラットフォームワーカーの稼働を簡単に停止することができます。プラットフォームワーカーは、このような一方的な契約終了行為・アカウント停止行為を怖れて、その他の不当な行為に対しても声を上げられないという状況に置かれています。
 このような問題について、例えばヨーロッパでは、EU欧州委員会が、プラットフォーム企業とプラットフォームワーカーの契約関係の非対等性が、プラットフォームワーカーの不安定で危険な労働環境を生んでいると指摘し、対等性を確保し透明な契約関係を実現するための立法を年内に行うとしています。
 これに対して、日本では、2020年5月に「特定デジタルプラットフォームの透明性及び公正性の向上に関する法律」が成立し、プラットフォーム企業にプラットフォームの利用を拒絶する場合の条件の開示などを義務付けましたが、現在同法は、楽天市場などの商品取引のプラットフォームのみに適用されることとされ、労務提供型のプラットフォームには適用されません。
 また、2021年3月、政府は「フリーランスとして安心して働ける環境を整備するためのガイドライン」を発表しましたが、プラットフォームワーカーが契約の非対等性を強いられる原因となっている契約終了場面についての言及はありませんでした。しかし、継続的取引の終了については、「やむを得ない事由」が必要であるというのが裁判実務上の定まった見解であり、プラットフォームワーカーが安心して働けるためには、その点についての言及が必須であったと言えます。
 以上のように、コロナ禍でフードデリバリーサービスなどのプラットフォームワーカーが急増し、私たちが外出しなくてもよい生活を支えてくれている一方で、法律などは不十分なままで、プラットフォームワーカーは不安定な働き方を強いられています。
私たちは、現場で何が起きているのか、プラットフォームワーカーの声を集め、プラットフォームワークの現状と課題を明らかにします。そして、プラットフォームワーカーが尊厳を持って、安心して働ける環境の実現のため、政策提言などにつなげていきます。

 
具体的な仕事内容と料金、経費と利益率、お客さんからのクレーム対応、プラットフォームビジネスに望むこと・もっとこうなってほしいこと、などをプレカリアートユニオンまでお寄せください。近く特設サイトを開設する予定です。それまでは、プレカリアートユニオン宛てにメールでお送りください→info@precariat-union.or.jp
 
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新自由主義政策のもとで闘った労働者を記録し、励まし続けたドキュメンタリー。『ピケをこえなかった男たち リバプール港湾労働者の闘い』(ケン・ローチ監督/1997年・イギリス)

 イギリスの社会派、巨匠ケン・ローチの作品はこれまでもいくつか紹介してきましたが、今回はリバプールの港湾労働者の闘いを描いたドキュメンタリー『ピケをこえなかった男たち リバプール港湾労働者の闘い』のレビューです。イギリスのリバプールで1995年に起きた500人もの港湾労働者の解雇問題は、当時メディアからほとんど無視され、組合の上部団体からも見捨てられた闘いでしたが、そんななか、ケン・ローチは闘いの様子を記録し、闘う労働者たちを励まし続けました。

■500名の労働者の解雇■
 1989年、イギリスでは港湾労働法が廃止されました。これによって何か起こったかというと、雇用の日雇い化です。リバプールを除き、すべての港湾労働者が解雇され、日雇い労働者へと置き換えられてしまいました。
 1995年、そのリバプールで、ある労働者が解雇されてしまいます。組合はピケを張り、会社と対峙、そのときピケ破りをせず闘った「ピケをこえなかった男たち」500人が解雇されました。上部団体から支援もなく彼らの闘いは困難を極めますが、懸命に闘い、世論や仲間そして、上部団体にも訴えを続け、ついには大規模ストライキを決行し経営側に大打撃を与えるに至ります。

■労働運動としての映画作品■
 実は、この映画、ストライキを決行したところまでで終わっているのです。というのも発表されたのは1997年。おそらく、まだ労使紛争の最中だったのではないかとも考えられる時期です。この作品の真価は多くの関係者による生の証言と、なぜともに闘うのか、なぜこの闘いが必要なのかを語る姿だと思います。監督のケン・ローチは、作品としての映画の終わり方をどうするかという視点よりも、記録をしながら生活と尊厳をかけ、新自由主義政策による階級破壊の攻撃と、それに必死で闘う労働者とその家族をひたすら励まし続けたのです。この作品は、報道からもほとんど意図的に無視され続けたこの闘いを世に知らしめ、労働者たちを勇気づけるためのものだと感じました。

■過当競争に飲み込まれる■
 映画で扱っているのは労働組合の根源的なテーマでもある「労働力をいわゆる商品にせず、集団で交渉して条件を決定し、労働者の賃金を過当競争に巻き込まない」ということです。日本でも本作公開の翌年、派遣法の規制緩和が行われ、さらに1999年には労働者派遣がネガティブリスト化により原則解禁となりました。その後、日本の労働環境がどのように破壊されていったかはみなさんもご存じの通りです。多くの正社員は派遣社員に置き換えられ、労働者の生活水準はみるみる低下しました。この時期のイギリスも戦後に勝ち取った労働者の福祉や権利を、政府が巧みに強行に奪い去っていった時代といえますが、これは日本をはじめ世界各地でも起きていたことだったのです。

■サービス主義に基づく商品のたたき売り■
 その後、2000年代になると盛んにグローバル化が叫ばれるようになります。グローバル化とは、労働者の権利を制限し格差拡大を容認する新自由主義社会化に他ならず、今や、社会のすべてのものがサービスに置き換わり、過当競争にさらされています。いわゆる買いたたきの原理が労働にあてはめられてしまっているのが、まさに現代の労働者を取り巻く環境です。会社がよく「労働法を守っていたらやっていけない」と主張するのは、正しくは、労働法を守っていたら(過当競争に勝てず)やっていけないということなのです。新自由主義は企業の遵法意識すら揺るがし、ひたすらに格差の拡大を招くものなのです。
 労働組合には労働者供給事業を行うことが認められています。職場で多数派を取り、業界を横断的に組織し、業界と集団で労働力のやり取りをし、労働力の供給を担う産別運動は、関西生コン支部の大弾圧でわかるとおり、資本側の大きな脅威です。私たちも、広く業界を組織し、産業そのものに影響力を持つ労働運動をめざし、日々の活動を行っていきたいものです。
稲葉一良(書記長)

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日本の運動と強く結びついてきたロック。『フェスとデモを進化させる 「音楽に政治を持ち込むなって何だ!?」』(大久保青志著/イースト・プレス )

 著者の大久保青志氏は音楽雑誌「ロッキング・オン」の創刊メンバーで、野外音楽イベントのフジロックフェスティバル(以下フジロック)の立ち上げなどに中心的存在として携わり、故内田裕也氏のマネージャーを務めるなど、日本のロックの歴史のまさに生き字引的存在です。『フェスとデモを進化させる 「音楽に政治を持ち込むなって何だ!?」』は、そんな著者が半生を語りながら、日本のロックの歴史や、音楽と政治について記した1冊です。

■「音楽と政治は平和なシナジーを築ける」
 本書は2019年のフジロックに現役沖縄県知事であった玉城デニー氏が出演したことについて触れるところから始まります。音楽と政治はもっと平和なシナジーを築けるはずだと大久保氏の想いが綴られます。本書は著者のこれまでの半生を振り返りながら進みますが、その回想はまさに日本のロックの歴史です。そして、ロックと文化との歴史でもあります。

 2011年から、フジロックでは反核を訴えるアトミックカフェが行われていますが、その前身になる1984年の「アトミックカフェミュージック・フェスティバル」に寄せて、尾崎豊が、基地の近くで育った自分にとっての戦争と平和と核について熱く語ったという話には特に心を揺さぶられました。また、「人助けの大久保」と呼ばれ続けてきた人柄についての数々の逸話を読み進めるにつれ、同氏が代表を務めていた(現在も)レーベン企画に組合の街宣車の相談をさせていただいた際に、とても親身になってくれたのを思い出します。

■「○○に政治を持ち込むな」の風潮
 サブタイトルにある通り、「音楽に政治を持ち込むな」という風潮が日本では蔓延しています。SNSでは、ミュージシャンのみならず政治的発言をしたアイドルやタレントも非難にさらされる現状に、強い危機感を覚えます。昔からロックは運動と強く結びついてきました。おかしいことには、しっかりと声をあげて表明していくことの大切さをあらためて示された1冊でした。一ミュージシャンとしても、しっかりと自分の姿勢は表明していきたいと思います。
稲葉一良(書記長)

いなば・かずよし 1984年、埼玉県生まれ。プロのミュージシャンとして活動しながらパートで働いていた調理職場を解雇された際、企業内組合の役員らに「ボス交」され弾圧されたことをきかけにプレカリアートユニオンに加入、専従役職員となり、2020年9月から書記長。特定社会保険労務士の資格も持つ。ハードコアジャズバンド「ゴリラ人間ズ」、オルタナティヴ・ロックバンド「JIVES」などでベーシストを務め、ウクレレ講師としても活動中。

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開かれた対話の持つ可能性。『感じるオープンダイアローグ』(森川すいめい著/講談社現代新書)

 仕事や人間関係により精神を病んでしまう人が、年々増え続けています。『感じるオープンダイアローグ』の著者は、精神科医鍼灸師の森川すいめい氏。本書は、精神疾患を開かれた対話によって治癒する、「オープンダイアローグ」について、医学的な技術論でなく、それを行うことで何が起こるのか、ということにフォーカスして書かれた1冊です。

■開かれた対話が心を癒す
 フィンランドのある病院では、精神を病む人たちの8割が回復しているといわれています。その秘密は「オープンダイアローグ」にあります。「オープンダイアローグ」では、患者や家族とともに医師、看護師などが対等に、開かれた対話を繰り返すことで疾患やそれに関連した諸問題の解決を目指します。現在の日本の精神医療が、医師が上から、ともすると一方的に治療方針を決定し、家族や時に本人にまでクローズであるのと対照的な心理的に安全で、開かれた治療法です。はじめは、著者もただ対話をするだけで心が癒やされるということをにわかには信じられませんでしたが、発祥の地であるケロプダス病院での研修や、実践を通してオープンダイアローグの力を確信していきます。

■本人も支える人も癒す対話■
 本書を読んで痛感したのは、対話による治癒の対象は患者だけではないということです。例えば、高齢で認知症の患者の場合、家族との関係や家族の感じている負担が家庭環境を悪化させ、そのことが病状の悪化に繋がっていることも多くあります。開かれた対話によって、治療に寄り添う家族の悩みを解決し、コミュニケーションのギャップが埋まっていくことで、本人の症状がよくなっていくということは、読んでいてスッと腹落ちしました。
 日本の精神医療は、とにかく投薬と拘束によって治療を行うことが常態化しており、これによる人権上の問題についても本書は問題を提示します。対等な開かれた対話による、癒しの「オープンダイアローグ」の持つ可能性に触れることのできた1冊でした。

稲葉一良(書記長)

 

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原文次郎さん(反貧困ネットワーク 外国人支援チーム)によるレビュー/一次情報・速報を元にした他国の運動の「評価」の難しさ しかし、私たちはこれを他人事として観ていて良いのか?『ヤナマール - セネガルの民衆が立ち上がるとき』(ヴュー・サヴァネ著 バイ・マケベ・サル著/勁草書房)

 「セネガル」「民衆運動」このテーマははたしてどこまで日本の読者に身近な問題といえるだろうか。本書『ヤナマール   セネガルの民衆が立ち上がるとき』は分厚い大著ではないが、しかし必ずしも読みやすい本とはいえない。しかし、評価は読み手にもおよぶ。セネガル民衆運動の報告を日本の読者がどのように受け止めるかということは読み手も評価の対象になるということである。その点でも本書は簡単な本ではない。

■「ヤナマール」の意味と本書の構成■
 「ヤナマール(Y'enamarre)」とは、フランス語で「もう、うんざりだ」という意味である。フランス語の原著は2012年、日本語版は2017年の出版であるが、本書は2011年にセネガルで起きた、既存の政治体制に対する市民による広範な抗議行動を主導した社会運動対「ヤナマール」を紹介する報告を主としている。報告の前に日本人の監訳者である社会人類学者・社会思想史家の真島一郎氏による解説が配置され、後には運動を主導したラップグループ「クルギ」(セネガルで「イエ=家」の意味)のメンバーに対するインタビューや運動の理念を表す一次資料を収めている。
 解説を前に配置したのは日本の読者に対する配慮であろうが、それは本文を読んだだけでは時系列的な経緯と、西アフリカの一国のセネガル、いやアフリカに留まらず、東アジアの日本も含む、民衆運動の世界的な意味に目を向けさせようとの監訳者の意図を感じる。運動が起きた2011年は、中東における、いわゆる「アラブの春」、日本では3.11の東日本大震災が起きた年であることが想起されるであろう。
 しかし、これらの監訳者の意図は読者が自身で本文から汲み取るべきものであり、解説で導かれるものではないと思う。解説を読み、運動の意義を強調された後に本文のテキストに目を通してみると、そこまで膨らませた意味が読み取れず少なからず当惑する。

■新しいセネガル人を作ろうとする運動-日本は?■
 一方、「ヤナマール」は新しいセネガル人を作ろうという運動でもある。1960年のセネガル建国以来、センゴール政権、ジュフ政権と40年にわたる社会党の長期政権が続いた後に、国民は自由主義的な対立候補であるワッドを支持して建国以来初の民主的な政権交代を果たした。しかし、国民の期待を抱いて2000年に登場したワッド大統領の政権がその期待を裏切るのにもそれほど時間はかからなかった。多選を狙うワッド政権に対する抗議運動がヤナマール運動の発端であり中心である。「ヤナマール=うんざりだ」という言葉は、ワッド大統領個人に留まらず国民の期待に応えない政治体制に向けられていると同時に、そういう政治体制に対して呪詛じゅその言葉を吐きつつも、社会体制も含めて変えようとしてこなかったセネガルの国民自身に対しても「うんざりだ!」として、政治に背を向けるのではなく、政治プロセスに参加することによって新しいセネガル国民に変わろうという意味が込められている。
 そこにセネガル国民としての物語を紡ぎたいという思いがあり、「クルギ」のようなラップミュージシャンが運動を主導するのも意味があるが、ジャーナリストに書かれた本文の報告部分にはフランスの哲学者、思想家、社会学者の言葉の引用が多用されているのにはパラドクスを感じる。アフリカの旧植民地が宗主国の言葉を用いて自国の物語を説明しようという点においてである。
 むしろ資料として収められている「クルギ」メンバーのインタビューの方が彼らの肉声で運動の目指すものを伝えていて心に響く。
 そして、最終的に西アフリカの民衆運動のレポートを日本の読者がどう受け止めて生かすのかという点に帰り着く。政治に対して「うんざりだ」「生きさせろ」と感じる民衆運動が政治を忌避するのではなく、政治参加を通して政治を変えていくレベルに至るのか、問われるところである。
 2021年の世界は新型コロナ感染症によりまったく新しい世界に突入しており、ヤナマール運動から10年が経過している。セネガルもワッド大統領の多選を阻止したが、その後に発足したサル新政権も10年を迎えようとしているなかで順風満帆とはいえない。あらためて本書に描かれた2011年のその後が気になるところだ。
レビューアー:原 文次郎(反貧困ネットワーク 外国人支援チーム)

 

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福島みずほさんによるレビュー/すべての女の子に、あなたには力があって、あなたにはあなただけの良いところがあると伝えたい。『わたしは無敵の女の子』(ケイト T. パーカー著/海と月社)

 最近、『わたしは無敵の女の子』という本を読んだ。とっても元気になるので、手元に置いて繰り返し読んでいる。
 これは4歳から18歳までの約200人の女の子たちの様々な写真とメッセージから構成をされている。どの写真もどのメッセージも本当に素晴らしい。本の製作者であり撮影をしたケイトさん自身がサッカーなどをやってきたスポーツパーソンと言うこともあり、アスリートの女性たちの素晴らしさと言ったら。ダンスをしたり、いろんな探検をしたり、笑ったり、様々な表情の女の子は100%輝いている。大口を開けて笑う子、泥だらけの子、不屈の闘志を燃やしている子、病を抱えて希望に向かって生きている子、実にさまざまである。見ているだけで元気になる。
 日本では、「女の子」というと、未熟であるとか、かわいいとか、保護しなければならないとかまだよくものを知らないと言うような感じのイメージだが、ここにいる女の子たちは未来がたくさんあると言う意味で極めてパワフルであり、そして、つよい。未知数の女の子たち、無限大の可能性を持つ女の子たちである。女の子と言うイメージがまったく変わる。女の子っていいなぁ、女の子って素晴らしいといいたくなる。

 著者が「はじめに」というところで書いてある部分を引用させてもらいたい。
 「女の子は男の子より劣っているとか、もっとやせなくちゃとか、どうせ1人じゃ何もできないとか言われたら、どうか気にしないで立ち向かってほしい。なぜって、私たちは【なにかが足りない】どころか、【じゅうぶん持っている】のだから!大切なのは【他人】ではなく【自分】の本心に耳をかたむけ、それを声にだすことだ。それもとびっきり大きな声で」
 女の子は、未経験だとか、知識がないとか、ろくにものを知らないとか思われがちだ。しかし、何かが足りないのではなく十分持っているという指摘は本当にその通りだ。自分の中にある力を自覚し、自分はできるのだと思うこと、それが本当に大事なことである。
 どれだけ女の子たちは、ダメだダメだと言われ続けてきたのだろうか。だからこそ自己肯定感が低く、自分の中に力があるにもかかわらず、その力を出すことができずに、萎縮をしてしまう。

 この本の中のメッセージにこういうのがある。
 「私は水球がだいすきだし、かたっぽのまゆげだけ上げられるし、テニスもできるし、へんがおで、みんなをわらわせることもできる。いもうとのペニーが3つのときには、字のよみかきだって、おしえてあげたんだから」サブリナ6歳
 6歳の女の子のこんなことを私はできると言う自信は素晴らしい。
 「車にひかれて、骨がつぶれた。でも、生き延びたわたしは、何があろうと最高の自分になってみせるって決めた。」シェルシー14歳
 全力で生きる女の子たちの自信や決意は素晴らしい。

 日本で、私はこんないいところがあるなんて言ったら、何をうぬぼてるんだというか、笑い話になってしまうかもしれない。しかし、この写真の中に出てくる女の子たちはみんな全力投球で、真摯であり、また自分なりの考え方を持っている。そこが本当に素晴らしいのだ。
 女の子がそのままで、力がある、わたしにはこんないいところがあると言い切れる日本の社会になったらとってもいい。全ての女の子たちが自分にはこんないいところがあるとどんなに小さくても言い切れるととってもよい。
 今は、もちろんたくさん問題があるけれども、こんな元気な女の子たちがこんな形で育っていれば将来本当に変わっていくだろう。

 第一章の「『自信がある』は、つよい」の部分はこういう文章で始まっている。
 「いま、男性の賃金が1ドルとすると、女性はたったの79セント。テレビのスポーツ番組で、女性アスリートの活躍をとりあげるのは放送時間のたったの5%。女性が主役の映画やテレビドラマはたったの12%。そんな話をこの章に出てくる少女たちにしたら、なんと言うだろう。ここにいる女の子たちは、みんな聡明で、才能があって、つよい。そして、そのことを本人もわかっている。どの子も自信をみなぎらせている。それが、わたしたちに希望を与えてくれるー彼女たちがおとなになるころには、きっと、不公平な扱いは消えているだろう、と」
 本当に未来は変わっていくだろう。そして、明確に変わり始めている。

 構成のどれも素晴らしいが、わたしがその通りとニヤリとしているのは、「『楽しめる』は、つよい」という部分の文章である。
 「この章の少女たちも、いつだって楽しもうとしている。そして、その喜びを分かちあっている。彼女たちには、ささやかな喜びを見つけるための、芯のあるつよさがある。楽しめる人は、つよい。
あなたも、そうなろう。」
ね、いいでしょう。写真を見るだけで、メッセージを見るだけでワクワクしてくる。

 「このソバカス、気にいってる。だって、これもあたしの一部だもん。」9歳
 全て私の個性というこういう考え方は本当に良い。外からの「女の子はこうあるべきだ」というのを乗り越えている。外からの評価や視線に怯えずに、わたしはわたし、これはわたしの良いところ、気にいっていると言うつよさに心打たれる。
 みんなどこまで遠くへ行けるだろう、楽しく。みんなどこか「わたしは無敵の女の子」だった。いろんなことに喜びを見つけて生き生き生きてきたのである。伸びやかな気持ちに本当になってくる。少女時代をもう一度生き直すようなそんなワクワクした新しさに満ち満ちてくる。

 帯に、「すべての少女と、かつて少女だったあなたを祝福するフォト&メッセージ」とある。すべての少女とかつて少女だったあなたを本当に祝福してくれるフォト&メッセージである。祝福してもらい、力をもらってニコニコがんばれる。自分の中の女の子がなんだってできるよと励ましてくれている。
そしてすべての女の子に、あなたには力があって、あなたにはあなただけの良いところがあると伝えたい。
 ぜひ読んでください。また、ぜひたくさんの女の子に、かつて女の子だった女性たちに届けてください。もちろん男性もぜひ読んでください。
レビューアー:福島みずほ社民党党首/参議院議員

※このレビューは、《2021年5月5日発行の福島みずほ氏のメールマガジン福島みずほ元気ニュース」》で配信された文章より一部抜粋し、許可をいただき掲載をさせていただきました。

 

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