プレカリアートユニオンブログ

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監督ケン・ローチが怒りをもって撮らなければならなかった、イギリスの社会福祉制度の闇と置き去りにされた人々の声。映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』

 「ゆりかごから墓場まで」―。福祉国家としてのイギリスを象徴したとして有名な言葉です。映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』は、そんな福祉国家イギリスの社会保障制度の闇を鋭く描き出した作品です。2016年に社会派の巨匠ケン・ローチ監督、ポール・ラヴァーティ脚本で製作されました。2014年にもう長編映画は撮らないことを宣言したケン・ローチがそれを撤回してまで描かずにはいられなかった、社会から取りこぼされてしまった人たちをさらに追い詰め、苦しめる、硬直した制度の問題点、人としての尊厳が奪われてしまう社会構造に光を当てた本作は、第69回カンヌ国際映画祭パルム・ドール、第69回ロカルノ国際映画祭で観客賞を受賞するなど世界的にも高い評価を獲得しました。

社会保障」に苦しめられるダニエル・ブレイク
 主人公のダニエル・ブレイクは、ベテランの大工です。老齢で妻に先立たれた彼は、ある日、心臓発作で倒れ、働けない身体となってしまい、医師からも休職を命じられます。ダニエルは、休業給付金を申請するために役所へと向かいますが、面談の結果、就業可能であるという判断をされてしまいます。異議を申し立てようにも、再審査はいつ終わるかわからず、その間の収入は絶たれたままです。役所の担当の勧めに従い求職活動をすることになるのですが、使ったことのないパソコンの操作に苦しめられ、難航。実際に歩いて履歴書を配り、面接を行いますが、「求職した証拠がない」と不正の疑いをかけられてしまいます。

シングルマザー ケイティの困窮
 ケイティは、2人の子供を育てながら自身も大学に通うシングルマザーです。道に迷って役所での面会時間に少し遅れてしまったというだけの理由で「ルール違反である」とされ、給付金の交付をしばらくの間遅らされてしまいます。ダニエルは、硬直した融通の利かない役所の対応に怒りを抑えきれない彼女を黙って見捨てることができず、大工仕事でケイティの家を修理し、フードバンクに同行するなどの支援を行います。ケイティと2人の子供とダニエルは、まるで家族のようにお互いを支え合い、絆を深めていきます。しかし、ケイティにも、ダニエルにも貧困とそれを見殺しにする「福祉」の仕組みによって大きな問題が降りかかってきます。

イギリスの社会保障制度の問題
 本作では、公的支援(公助)のほかに、さまざまな助け合いや支え合いによる支援(共助)が描かれています。フードバンクや、地域での助け合い等々…お金がなく生理用品を万引きしてしまったケイティを黙って見逃すスーパーの店長の態度も、広い意味では共助ととらえることができるでしょう。公助が形骸化し、共助がその一部の代わりを担っていますが、けしてそれは十分なものとはいえません。一度貧困に陥ってしまえば、自助努力で解決することはきわめて困難です。そうならないためのセーフティネットが公助であるべきなのに、それがまったく機能していない。イギリスの社会保障制度は、弱者のための制度ではなく、言うなれば制度のための制度に成り果てており、それが、困窮者に過大な自助努力を要求しているというのが現状なのです。

 この映画を見て、1人の仲間の闘いが思い浮かびました。労災の被害者で、不正を働く会社との労使紛争を闘った彼は、歩くのもやっとの状態でした。労働基準監督署(労基署)は医師の意見を無視し、硬直した融通の利かない判断基準を以て「就労可能」と判断し、実際には働けない状況なのに労災給付を打ち切りました。労基署が守りたいものは、被災労働者よりも運用ルールであるかのような対応に強い憤りを覚えました。最後には勝利したものの、守るべき家族がいるなか、制度の不合理によって生活の糧を奪われた彼の闘いは困難をきわめました。人を守るための制度が正しく運用されず人を苦しめています。生活保護の不当な水際作戦の知らせも後を絶ちません。この映画で描かれる風景は、けして他人事ではないのです。

稲葉一良(書記長)

わたしは、ダニエル・ブレイク
(ケン・ローチ 監督 / 2016年・イギリス・フランス・ベルギー合作)

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