プレカリアートユニオンブログ

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新自由主義により数値化・商品化された教育に人間性を取り戻せるか。『崩壊するアメリカの公教育 日本への警告』(鈴木大裕著/岩波書店刊)レビュー

新自由主義により数値化・商品化された教育に人間性を取り戻せるか
『崩壊するアメリカの公教育 日本への警告』(鈴木大裕著/岩波書店刊)
https://www.iwanami.co.jp/book/b243732.html

 「日本の教育は古い」、「詰め込みが多く実用的でない」近年、日本の学校教育に対する評判はあまり著しくありません。受験中心の教育システムに、「ゆとり」教育によって更に広げられた教育格差など、問題は山積みです。では、日本人にとって身近な国、アメリカの教育はどうなっているのでしょうか。自由で開放的な教育環境に実践的なカリキュラム、そんなイメージを抱く方が多いのではないでしょうか。実は現在アメリカでは、公教育が金儲けのために破壊されつつあり、大きな社会問題になっているのです。今回紹介するのは、そんなアメリカの公教育に警笛を鳴らす一冊です。

著者の目に飛び込んできた凄まじい教育格差
 著者は学生時代をアメリカで過ごしました。留学先の全寮制高校で、ひとりの英語教師(アメリカでは国語)と出会い、学びを通して人生を大きく変えるほどの経験をします。その後、現地の大学と大学院で学び帰国し、日本で教員としての道を歩み始めます。数年後、日本の教育改革への足がかりにと考え再び渡米した著者の目に飛び込んできたのは、アメリカの凄まじい教育格差でした。

教育を受ける権利を保証しないアメリ憲法
 アメリ憲法では「教育を受ける権利」を国民の基本的人権として保障していません。最低限の教育を受けることのできない子どもも多く、国連の採択した「子どもの権利条約」すら批准していないのが現状です。アメリカで教育を受け、その素晴らしさを発信する人たちによって日本に伝わってくるその教育風景は、ごく一部のエリートたちのものなのです。実態は貧困により最低限の教育を受けることが困難な子どもたちも多くいます。公教育の主要な財源は固定資産税であり、地価の格差により露骨な教育予算の不平等が生じているのです。憲法でも具体的な教育制度でも、アメリカ社会はこの教育格差を是認しているといえます。

新自由主義による教育格差の助長
 レーガン政権以降、アメリカは新自由主義の「自由な企業間競争」の考えに基づき、教育改革を推し進めてきました。その最たるものである「市場型」の学校選択制に加え、公教育が民営化されることで生まれた弊害は様々です。競争原理をもとに、各学校と家庭に排他的な競争を強いることでアメリカの教育システムはまさに一大市場へと変えられてしまいました。前項参加の統一テストなど、点数に基づく画一的な評価のもと選択を行うため、同じ公立学校なのに「あたり」と「はずれ」が生じるようになってしまいました。その結果、貧富の差が家庭間の競争力の差となり、教育の格差につながるという仕組みができあがってしまったのです。

画一化「点取型教育」と使い捨て「輸入教員」
 教育が数値化標準化されることで、今度はその数値を獲得するためのテクニックが重視されるようになります。つまり教育が単なる「点取りゲーム」になってしまうのです。その結果、「点数」に直接結びつきにくい音楽や文学、体育に科学の実験などなど、これらが特に貧困層の通う学校現場から奪い去られてしまうのです。また、教育が「人を育てる」から、「点数をとらせる」になってしまい、教師の仕事がそのためのテクニックをいかに効率良く教えることが出来るかという画一化されたものになってしまいます。一定のプログラムを消化すれば誰でも教師になれてしまうという現状から、発展途上国からの「輸入教師」が安い賃金で使い捨てされる問題が深刻化しています。

グローバル化の波と立ち上がった教員たち
 新自由主義による数値化、商品化された教育は、アメリカに留まらず企業や経済のグローバル化の波に乗って、今や世界を席捲しようとしています。世界中の子供・若者が画一的な価値観に基づく数値によって価値を測られ、分類され、支配されていく。昔のSF映画に出てきそうな「悪い冗談」が、今まさに現実化しようとしているのです。アメリカでは、こうした公教育の破壊に対し教員たちが立ち上がり、地域を巻き込んだ社会運動を活発に展開しています。

教育や労働に人間性を取り戻そう!
 第二次大戦時、対戦のために芸術分野全般の予算の削減を求められたイギリスの首相、ウィンストン・チャーチルはただ一言「だったら我々は何のために戦っているんだ?」と答えたそうです。数値化できないものには人の尊厳、気持ちもあります。経営を数値でしか捉えず、労働者の人権・人間性を否定するブラックな経営も新自由主義の弊害のひとつととらえることができるのです。教育に、労働に、人間性を取り戻すために闘っていくことの大切さを本書から学びました。
 稲葉一良(書記次長)